ホテルマンのシエスタより


夜中に目が覚めて、急にお寿司を食べたくなったので、つい「お寿司のページ」をつくってしまいました。  う〜ん!ますます・・・眠れない・・・





マグロの最高級品
本マグロ

       
      
へ〜い、 いらっしゃい!



  
昭和初期の東京神楽坂に出ていた屋台のすし屋(1930年=昭和5年)     


寿司の原点
すしは、東南アジアから渡ってきたものです。
雨期に捕れる魚を貯蔵しておくために考えられたもので、魚肉を塩で味付けし、ご飯の中に漬け込む方法でつくられました。
このすしは漬物のような感覚で「魚肉だけ」を食べます。
こうした食べ方は現在も残っており、こういう形態をナレズシ(発酵ずし)と言います。
日本のすしはいつ頃日本にやってきて、定着したのか
握りずしを考案したのは、江戸ですし商を営んでいた華屋与兵衛だと言われています。
正確には、握るすしの形は与兵衛以前にもありましたが、まだ「握ったご飯の上に魚を貼りつけ、箱の中に詰めて押す」という、箱ずしにすぎませんでした。
握り寿司
与兵衛は、押しつけることで魚の脂分が抜け出てしまうのが気に入らず、「握り早漬け」を考えました。
これが、現代の握りずしの形となります。
華屋与兵衛の店は大繁盛し、「こみあひて 待ちくたびれる 与兵衛ずし 客ももろ手を 握りたりけり」と歌われるほどになりました。
その後
当時は魚の鮮度を保つため、塩や酢で締めたり、ゆでたりという下ごしらえが必要でした。
刺身をそのまま握るようになったのはさらに時代が進み、冷蔵庫が普及するようになってからです。


                         



すしの食べ方あれこれ
●お店でカウンターがあるすし屋さんを立ちずしといいます。
普通は、まずカウンターに座り、目の前のタネケースの中から好きなタネですしを食べます。

●すしは、本来は1カン付けでしたが、戦後のまだ魚介の量や種類が乏しい時に沢山のすしを食られるようにと2カン付けになったのです。しかし、今はいろいろなタネが溢れた時代となったので2カンでだす意味も薄れてきました。むしろ1カンづつ沢山の種類を楽しんだほうがいいように思います。遠慮せずにたのんでみましょう。
松竹梅などのセットになっているものはすでに1カンもりとなっています。

●おすし屋さんの腕のよしあしは、カウンターに座った時にわかるそうです。
座った時の目線の先にまな板が見えるかどうか。手元を見せて仕事をしている店は腕に自信があるからだそうです。むかしから高級な店ほどまな板を客の目にさらして見せて仕事をしているとの事。

●すしは手で食べるものとむかしから言われています。しかし、近年では、箸のほうが衛生的であるという解釈も出てきました。
これは、個人的な考えですが、カウンターに座った時は手で、テーブルに座った時は箸で、というのはいかがでしょう。

手で食べる場合は、「返し」という方法をとります。まず、親指と中指を使い、すしの先の方をつまみ上げ、シャリの腹を向こうに見せるようにすしを立てたら、すしの端にわずかにしょう油を付け、手首を返してそのまま一口で食べます。

箸での食べ方は「ここ」をクリックしてください。

※絶対してはいけない事=わざわざシャリをタネからはぎとってすしを食べる人がいますが、職人さんはこれを一番嫌います。気をつけましょう。

●ちらし寿司の場合は、わさびと醤油をつけたタネとシャリを交互に食べる。

●バラ寿司(五目寿司)は、味がついているので、そのまま食べる。


すしの食べる順序ってあるの?

最初は、白身から食べる
で、その後は光物。
中トロ・大トロなどは 後半に食べて
最後は巻物で〆る






冷蔵技術がなかった時代の知恵
寿司になぜ笹の葉を飾ってあるの?
最近はビニールの飾りを使っている所もあるみたいですけど、昔から笹の葉には殺菌作用があるため、お寿司の飾りとして綺麗な形に細工した笹の葉を入れていたのです。
寿司になぜわさびを使うのですか?
生臭いにおいを消したり味を引き締めるための役割だけではなく、殺菌効果のためにあるもの。
わさびをすりおろすとあの“ツーン”とする成分が出てきます。この成分が菌のたんぱく質と結合して菌を殺していきます。ドイツの研究者が菌の実験でわさびから発生する揮発性成分の殺菌能力を証明しました。寿司飯にわさびを塗り、ネタでふたをして握るのも、この揮発性成分を逃さず殺菌する知恵になっているとのこと。
お茶&ガリの存在
寿司を食べるときにかかせないお茶。「あがり」と呼ばれているお茶には渋み成分である“カテキン”は食中毒の原因となる菌の活動性を阻止する役割を果たし、発ガン物質を作る腸内細菌に対しても殺菌効果を発揮します。

「ガリ」と呼ばれるしょうがは口の中をすっきりさせ、生臭さを消すほかにこちらも殺菌効果があります。





符  丁
符丁というのは「その業界や仲間内だけで通用する隠語」です。何の商売でも符丁はありますが、すし屋にも独特の符丁があります。

シャリ 酢飯。仏教語の舎利からきた言葉で、お釈迦様の遺骨は真っ白でありがたいというところから。
ひかりもの 背皮の光ったもので皮を付けたままで使う種。こはだ、あじ、さば、いわし、きす等。
ギョク 玉子の「玉」の音読みで、卵焼きのこと。
鉄砲 細巻ずしのこと。形が鉄砲に似ていることから。
ゲソ イカの足を言う。下足(げそく)から来たもの。
ヒモ 赤貝のひも部分
カッパ キュウリ巻のこと。キュウリの切り口が河童の頭の皿に似るため。
キヅ 干瓢(かんぴょう)。現在の滋賀県水口町木津(きづ)が干瓢の名産地だった。
片身ヅケ コハダ、サヨリ、キス、赤貝など、片身一枚をすしにすることをいう。
サガヤ おぼろのこと。「嵯峨谷御室の花盛り」という浄瑠璃の文句から来た。
クラカケ 玉子の握り方。分厚いすしダネを真中で切り開いて、鞍(くら)をかけたように握ったすし飯の上にすし種を被せる。
玉割り 調理の段階で水で薄めること。玉、すなわち多摩川をもじったもの。
サビ わさびを略したもの。(わさび=「なみだ」とも言う)
ガリ 酢漬けの生姜。噛んだ時の音から来たとされている。
ムラサキ 醤油。色が紫がかかっているため。
お手元 箸。「お手許」
ヤマ 笹。山でとれるから。
あがり 最後のお茶を「あがり」という。最初に出すお茶は出花。



数字の符丁

(ピン)

(ノの字)

(ゲタ)

(ダリ)

(メの字)

(ロン字)

(セイナン)

(バンド)

(キワ)

(ヨロゾ)
この他にも呼び方があるようです。
複数の場合は組み合わせて用います。三十五の時は「ゲタメ」など。
現代では、魚河岸でもあまり符丁は使わなくなっていますが、店内でお客にわからないようにしたい時や、雰囲気づくりに使うこともあります。



すしは五色からなる
彩りよく美しく盛り込まれたすしは、舌だけでなく目でも楽しめます。
すしダネの色は青(しょう)・黄(おう)・赤(しゃく)・白(びゃく)・黒(こく)の
五原色に分けられ、バランスよく盛りつけられているからです。


これは私の説ですが、すしには「風水」も取り入れているような・・・気が・・・。
(東=青/南=赤/西=白/北=黒)+(天=黄/地=緑)
すなわち、(東南西北天地)・・・大自然からの恵み
・・・ (-_-)

※うんちく=風水では、太陽が東から上がると青龍神(青)が守り、南に回り込んだら朱雀神(赤)が、
そして西は白虎神(白)が守り、北側に入って夜になり朝がくるまで玄武神(黒)が守る。


すしは贅沢なミニ懐石料理
一人前のすしには、いろいろな調理技術を駆使したすしダネが盛り込まれています。
マグロやタイの刺身に、コハダの酢の物、アナゴの煮物に玉子焼の焼物といった具合に、刺身、酢の物、煮物、焼物などが凝縮された形で盛り込まれています。
まさにミニ懐石料理といってもよいほどです。
関西ずしの箱ずしにも煮物、焼物、酢の物にあたる種々の手法が取り入れられていて、食べ味のバランスもよい、贅沢なミニ懐石料理といえます。



バラ寿司 と ちらし寿司 の違い
バラ寿司(関西) ちらし寿司(関東)

バラ寿司は関西地方の呼び名。
酢飯に、甘く煮込んだシイタケやかんぴょうなどを混ぜ込んだものの上に、錦糸玉子やそぼろなどを乗せた寿司。関東では五目寿司ともいう。

ちらし寿司は関東地方の寿司。
酢飯は白いままで、上にマグロの刺身や蒸しえび、イカ等いろいろなにぎりのタネを乗せた寿司。





         森の石松の食べたすしは?
                                江戸っ子だってね                             神田の生まれよ                  
        
  1. 大坂で買ったすし
    講談や浪曲で演じられる「石松30石船」は、「江戸っ子だってね」「神田の生まれよ」「食いねえ、食いねえ、すし食いねえ」の名セリフでよく知られている。芝居などではこのすしは江戸前風の握りずしとして仕立てられることが多いが、この場面は金毘羅代参を終えた帰り道の、大坂から京都伏見に向かう淀川の船上でのできごとで、次郎長一家を誉められた石松が乗り合い客に勧めたのは大坂で買ったすしだったことになる。

  2. 「押ずし」である
    先代広沢虎造の口演では、「八軒屋から伏見へ渡す渡す船・・・(中略)・・・これへ石松さんが乗り込んで・・・(中略)・・・大坂本町橋名物の押しずしを脇へ置いて酒を呑み、すしを食べ・・・」と、「押ずし」であることを明言している。

  3. 大坂で江戸前握りずしは売られていた
    大坂に初の江戸風ずし(握りずし)屋ができたのが文政の終わりごろ(1820年代後半)。石松の金毘羅代参は文久のころ(1860年代前半)であるから、大坂本町で江戸風の握りずしが売られていても不自然ではない。





湯呑みや箸袋で見かける魚の漢字
みなさんはこのうちいくつ知っていますか?







マグロのページへジャンプ