政治家と世襲について


ここ数年、総理大臣のポストを簡単に放り投げることが日本でおきている。

外国(欧米、アジア、中東)では、リーダーたちが国民、国家の為に自らの命を擲とうという迫力で政治を行っている。
実際、そうした政治家たちの一部は、病死や、暗殺、政変などでリーダーの座を追われている。

日本でも、昭和初期の政治家は生命と引き替えに国政を担っていた人は何人もいた。
内閣総理大臣の任期中に殺されたり、病に倒れたものも何人もいたのです。

腹痛やあなたと違うという理由で、首相を相次いで辞めたのは世界中どこを探しても日本ぐらいのものだろう。
こうした無責任な政権放り出しの根元になっている現象をみんなが解っていながらいっこうに改善する気配がない。

昭和初期の骨のある政治家(一世)の子ども、そう、その団塊世代の子ども(二世)が議員となって大発生しているのです。
それは、小泉内閣から目立ち始め、阿部、福田内閣では、半数以上が二世議員で締められ、世間とのずれた発言が目立った。

そして、麻生内閣では、18人の閣僚中、12人が二世議員となる異様な事態が起きている。

これらの二世議員がたたき上げ議員と違うのは、お金の苦労、生活の苦労が一般人と違って無い。あまえがある。
だから、簡単に投げ出す。他人の痛み、苦しみが理解出来ない。粘りがない。

二世でも、しぶとい議員もいる。それは、父親の秘書ではなく、他人の家で秘書家業をし、他人の釜の飯を食い、修行した、小泉純一郎(福田赳夫)や鳩山邦夫(田中角栄)、二階堂俊博(遠藤三郎)などで、他の二世議員にはない強かさがある。

一方、ひ弱な二世、つまり、阿部、福田の共通点は、自分の家で秘書をして、おぼっちゃまとたてまつられ育った事だ。
結果、あまえの残ることとなった。

渋谷の一等地、地価だけで、60億円以上もする大邸宅に住む麻生首相に庶民の苦しみを理解といっても難しいことだ。
何とかアピールしようとマスコミを従え、高級車でハローワークに乗り込み、パソコンの求人画面を見ている失業者に、今までなにをしていたんだ。これをやりたいと言わないと・・・なにかありませんかねじゃ相談されるほうもなあ。目的意識がないと雇うほうもその気にならない・・・。などなど・・・。
首相は、彼らに選びたくても選ぶ仕事すらない現実に気づいていない。
その足で、外のタクシー運転手に一日売り上げは6万円ぐらいか?大変だなあ・・・と。1日6万円あれば、月収30万円以上もらえます。
わかっていない。カップラーメンが1個600円ぐらいかな・・・と言ってみたり。

失業の恐怖や無職の不安、さらには、将来に対する絶望を一切味わったことのない、典型的な二世議員に他ならない。

二世議員が、日本の政治、ひいては、日本社会から活力を奪う元凶となっているという指摘もある。
世襲の弊害は能力、人格識見の点でベストな人材が候補者として政治の場に出てくるチャンスを限りなく小さくし、政権の固定化に寄与し、日本の政治の質を、総理が平気で仕事を放り出す三流までおとしめた。政治は特別な家柄の人々が担う仕事という印象を国民に与えたという。

では、世襲議員を次々と作り続けている、後援会という組織はどうして存続できるのか。
以前、ある党で、政治家の子どもなどが立候補する歳に資金面で有利にならないようにする為、資金管理団体の世襲を認めないよう世襲是正についての法政度を検討する議論をしています。

政治資金管理団体を子どもに相続させるには二つの場合がある。
ひとつ目は、子どもが新に政治資金管理団体を作り、そこに資金を移す場合で、それは、政治団体間の寄付なので課税されない。
二つ目は、資金管理団体をそのまま引き継ぐ場合だが、これも課税されない。

個人や企業は、相続のたびに頭を悩ませ、希に命を絶つ者さえいる中で、政治家だけは、特権を享受している。
そこで、立法か、もしくは、党規約でもって、世襲を制限しようとという声がたかまってくるのも当然といえる。

ある経済ジャーナリストは次のように述べる。
世襲をやっていいのは、歌舞伎とか浄瑠璃といった伝統芸能だけ。政治家や大企業はやってはいけない。
なぜなら、二世がダメなら、国民・社員を道連れにしてしまうからです。

最近では、企業といえども世襲は少なくなっているという。
二世、三世で、上手くいく例はほとんどない。伊勢丹はずっと小菅家の家業でしたが、15年前に経営が苦しくなって世襲を辞めた。
ヤマハも川上家がやっていましたが、1992年に浩社長が追い出されてからは、父の源一が最高顧問として残っていたけど、ほとんど経営には関わらなくなった。
三洋電機も井植家の同族経営で、結局ダメになった。
ホンダは最初から子どもを入れないという方針でした。それは、本田宗一郎と藤沢武夫が最初から決めいた事で、企業の創業者は家庭を顧みる暇が無いからという考え方だったようです。
現在成長し続ける世界のトヨタが、そろそろ豊田家から社長をと、流れに逆らって、21年年1月に世襲に踏み切った。はたして・・・この巨大企業の経営者としての器か今後が試される。さらに成長するか・・・または衰退するか・・・社長しだい・・

日本と同じ議員内閣制を採用している英国では、世襲議員はほとんど見られないという。
それは、二世議員が生まれにくい公募方式による、厳しい候補者選定制度にあるようだ。それは、世襲であってもなくても、公募方式によって競争条件を一緒にする。
また、政治家として有能と思われる順に安全な選挙区に鞍替えさせてゆくなどの、英国の小選挙区制度の仕組みが機能している。
選挙区を移動することはよくあり、地元意識はほとんどない。
始めて立候補する場合などは、若い人の力を鍛える為に、相手方の強いところにわざと出して負けさせるといったこともやっている。
ブレア首相もそうだったが、そこで善戦したから、認められたという。

一方で、日本ではどうか。
昨年9月、自民党をぶっつぶすと宣言した小泉純一郎ですら、後継者として、次男・小泉進次郎を指名している。
だが、断ちがたい世襲の誘惑を断固拒否した、元衆議院議員の宇都宮徳馬の孫、徳一郎はこう語る。
徳馬という人は、政治家は一代限りという考方でした。こんな逸話があります。徳馬は何度も、金日成主席と会っているのですがある時、彼にこう言ったそうです。政治家は一代限りにすべきです。と。金正日に継がせようと決まっていつ時に敢えてそう言ったのです。金日成は、本当の直言はうれしいものだ。と応じたそうです。それほどのポリシーの持ち主だったとのことです。

世襲批判が高まっていますが、政治家は国民の負託を得ているわけですから、国民がきちんと考えるべき時だと思います。
異常なまでの世襲大国日本。だが、結局は、それを正すのも許すのも、有権者、つまり国民の意思しだいなのです。

2009年1月14日
週間文春の記事を参考にまとめてみました。


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