ホテルマンのシエスタ



0円の魔法



数年前まで、携帯電話の本体価格は軒並み「0円」か「1円」だった。
3〜4万円するのがあたり前になった今では、あんな高機能なモノがタダで手に入るのがおかしいと思えるのだが、当時は「なぜタダか」を深く考えなかった。
単に、通話料に上乗せされ、私たちが負担していただけだったのだが。

最近、インターネット上のサービスでも「無料で高機能」が増え、公的機関まで使い始めている。
外務省や財務省など、ウェブサイトの閲覧状況の分析に米グーグル社の無料ツールを使う官公庁が少なくない。

自前のメールサービスを廃止し、グーグルのフリーメールを使う大学も増えてきている。
いずれも自前でやったら何百万円もかかるサービスだ。

なが、なぜそれがタダか、そのカラクリをかんがえているのだろうか。

例えば、グーグルは利用者の文面を読みとって、個々の利用者にむけた公告に利用している。
国のウェブサイトへのアクセス結果からは、その時々の日本人の関心事が筒抜けとなるだろう。

仮に1000万円かかるサービスをタダで使えるという事は、提供される私たちの関心や趣味など様々な情報に、少なくても1000万円分の価値があるという事ではないか。

「携帯0円」の魔法が解けた時、私たち自身が払っていただけだと分かったように、「グーグルの魔法」が解けた時、国などが「タダ」の対価として差し出したものが何だったのか分かるだろうか。

それがとても大切なものだったと、後で気づいても遅いのに。


読売新聞 
社会部次長 若江 雅子さんの記事から。