ホテルマンのシエスタ


私の好きな土屋さんのコラムを紹介します。(週刊文春に掲載されたものを抜粋)


土屋 賢二さんのコラム 「ツチヤの口車」より


女だけがもっている能力

 
女が男に腹を立てる原因は無数にある。
だが、男の懸命な努力にもかかわらず、その全容はいまだに解明されていない。
だだ、原因の一つが男女の能力差にあることが知られている。

男はテレビを見るとき他のことを何もしないが、女はテレビを見ながら友達と電話で話し、大幅を食べ、同時に、洗い物、洗濯、ゴミ出し、掃除などを夫に命じている。
女から見ると、一度に一つのことしかできない男の無能さが腹立たしいらしい。

だが、反論させてもらいたい。

第一に、一度に多くのことができることが自慢になるだろうか。
たとえば一度にロックと交響曲と落語とニュース解説とスズムシの声を聞けるからといって自慢になるだろうか。
刺身とカツカレーとギョーザとケーキを一度に口に入れて食べることができるからといって、それのどこがエライのか。
異性にフラれ、大学を不合格になり、財布を落とし、食あたりで下痢と嘔吐に同時に襲われる、これら全部をいちどにやるとうれしいのか?

一度に多くのことをするのは女の専売特許ではない。
聖徳太子を見てもらいたい。
十人の話を同時に聞き分けたという。
わたしを見よ。
「聞き分けがいい」と言われているのだ。

ダ・ヴィンチを見てもらいたい。
同時にやったかどうか知らないが、多岐にわたる領域で目を見はる業績を上げている。
わたしを見よ。
家庭、大学、ピアノから、発言や歩行まで多岐にわたる分野で目を覆うような失敗を重ねてきた。

また、太鼓とシンバルとギターとハーモニカと一人で同時に演奏する男もいる。
綱渡りをしながら自転車に乗り、両方の鼻の穴で二本の縦笛を吹く男だって、探せばいるはずだ。
これらは、「お前はそれでも男か」と言われているわたしも含め、すべて男だ。
男の能力を見くびらないでもらいたい。

そもそも男が一つのことしかできないという主張は事実に反している。
男はテレビの野球中継を見ていても、頭はフル回転している。
監督の戦術を批判し、絶好球を見逃した打者を叱責し、この先の試合展開を予想し、締め切りを過ぎた原稿に手をつけていないことに罪悪感をおぼえ、夕食のおかずが何か推測し、予想される味を憂え、損なわれつつある妻の機嫌がいつ爆発するかを恐れながら、昼寝や貧乏ゆすりまでしているのだ。
もちろん、呼吸、消化、老化は一瞬たりとも怠らない。

いまもキーボード上で指を動かしているが、それが同時に「パソコンに入力する」ことになり、さらには「原稿を書く」「自分の浅薄さをさらす」「読む人の軽蔑を買う」行為にもなっている。
指を動かすという単純な動作だけでも何重ものことを同時にやっていることのなるのだ。

女が「洗濯をしながら、ご飯を炊きつつ、電話で話をしながら大福を食べる」と言っても大したことではない。
洗濯も炊飯もスイッチを入れるだけだ。
電話の話も簡単だ。
カントの普遍化可能性や多値論理学の議論をするわけでもなく、配偶者を納得させるような言い訳を迫られているわけでもない。
どうせ安易に亭主の悪口を言っているのだ。

「食べながら」と言っても、たかが大福だ。
自慢するなら、せめてカニか、ゆで栗を食べながらにしてほしい。

この程度でいいならわたしもやっている。
眠っているときでさえ、夜中のテレビ番組を録画し、携帯で迷惑メールを受信し、歯軋りしながら、学生の質問に答えられなくて脂汗をかいている夢を見ているのだ。

女が同時に多くのことができると言うなら、夫に笑顔を浮かべつつ、やさしいことばをかけ、肩でももみながら、こづかいをくれることぐらいなぜできない。

以上


次回の講演、「優れているのは男か女か」ですが、
諸般の事情で女性は入場できません。

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●土屋 賢二氏とはどんな人? : ウィキペディア