ホテルマンのシエスタ


週刊文春に掲載している、みうら・じゅん氏のエッセイがおもしろかったので勝手に ・・・ m(_ _)m スイマセン


     死に方上手


”自分が死ぬ”ということを理解しているのは、動物でも人間だけといわれている。

そう思って動物を見ていると、”死”を意識していないからか、悩みがなくて楽しそうに見える。
それならばいっそ、人間も死を意識していない動物のように生きて見たらどうだろう。
「タリラリラ〜ン」だの「ハア〜ポックンポックン」だのいって、バカみたいに悩みなさそうに毎日を過ごす。
もう気分は小学生で、「ボクは今、小学49年生」とか思っていれば、そうとう気持ちも楽になりそうだ。

そういえば還暦になると、赤いちゃんちゃこを着せられる。
あれには”赤は魔よけ”という意味合いと、60年生きたことで十干(甲乙丙丁〜ってヤツ)と十二支が一周し、生まれた年の干支に戻ることから”赤ちゃんに戻る”という意味がある。
つまり60歳になったら赤ちゃんに戻ると考えられていたと理解できる。
ならば小学生どころか、身も心も赤ちゃんになったていいんじゃないか?
「バブー、バブー」などといって老後を過ごせば、死への悩みはほとんどなくなりそうだ。

人生なんていうものは、”無”から始まり”無”に還るだけのことだ。
本来ならば、そこになにも怖いことはない。
死を目前にしても、変に物知りの大人のままでいるから”無”に還る準備が出来ず、それが死を怖いものにしてしまっていないか。
バカになる。それこそが、本当に無に還る精神的な準備なのではないか?

そして最近、さらに死を怖くなく感じさせる話を聞いた。

人間は死を迎えると、頭の中からドーバミンやβエンドルフィン、セロトニンといった、文系の人間にはよくわからない脳内伝達物質を大量に分泌するらしいことがわかったというのだ。
これはどういうことかというと、死の瞬間、人間はともかく気持ちがよくなるそうだ。
その気持ちよさたるや、なんとセックスの100倍から200倍にもなるという。

100倍200倍という気持ちよさの数値をどうやって計ったかは不明だが、死がとんでもなく気持ちいいってことは間違いなさそうだ。
普通のセックスですら「死ぬほど気持ちいい」なんていう人もいるくらいだ。
その100倍なんつう快楽味わったら、あまりの気持ちよさに悦楽死してしまうんじゃないか?

ともかくバカになり、でも死は気持ちいいってことだけは忘れないようにする。
それだけで、ずいぶん死ぬことが怖くなくなってくるんじゃないか?


=チョット品に欠ける部分があるが原文のまま=


■私達からは遠い境地で生きている人? みうら・じゅん 氏とは ・・・



上の記事とは関係ありませんが、この記事についてもチョット興味が ・・・


脳が一番賢いのは56歳?

J-WAVE夜の番組「HELLO WORLD」より、
感性アナリスト、黒川伊保子氏の「年齢別の脳の特徴」について


「56歳のお誕生日の頃が、人類の脳は完成期です」

「がむしゃらな20代」、「迷い戸惑う30代」など、40代までの脳は、ここを目指して進化を重ね、だいたい55歳の後半に連想記憶力と呼ばれる"本質を見抜く力"がピークを迎える。

かつて将棋の米長名人が50代の頃に「20代は、何百手も先を読めた。50代になると、さすがにそんなわけにはいかないが、なぜか50代の方が強い」とインタビューで答えたそうですが、これが50代の脳の最高潮の力を表現しているといいます。

50代が知る本質は自分の歩いて来た道の本質ですが、60代になると本質を知る回路の抽象度が上がり、それを色々なことに転用できるようになるので、自分とは違う人生を歩いている人の本質まで直感的に分かるようになるとか。

そして、脳は赤ちゃんの頃、大事なものから覚えていきますが、40代頃から大事なもの以外はだんだんと忘れていくように出来ているそうです。

ちなみに、最近の脳科学の研究室では「脳は生まれた時から自分の寿命を知っているかもしれない」という仮説が立てられるような試験結果が出ているそうです。

脳は、「生ききった」と感じる場所を知っている可能性があり、癌などの病気が起こるのも、実はその寿命に向かってフィナーレのためにしているかもしれない、というのが最近の見方だとか。

そして、人が死を迎えるとき、ドーパミンが噴射され、最期は痛みや恐怖感からも開放されるように脳はデザインされているそうです。

ネガティブなところに向かって坂を落ちて行くのが人生だと思わないことですよ。

一周のツアーなので、フィナーレまでとっても楽しいから大丈夫。

未だに解明されていないことが多く残る、私たちの脳の不思議。知れば知るほど神秘的ですね。


 (‐_‐)うん