ホテルマンのシエスタ


救助が必要な人は「静かに」溺れている

奥井識仁 ( おくい・ひさひと)

よこすか女性泌尿器科・泌尿器科クリニック院長

1999年東京大学大学院修了(医学博士)後、渡米し、ハーバード大学ブリガム&ウイメンズ病院にて、女性泌尿器科の手術を習得。

 夏本番です。この時期、各地で水泳大会が行われます。
子供たちだけでなく、マスターズスイム大会では60代の選手も元気に競技に取り組み、海で行われるオープンウオータースイミングの大会も多数開催されます。
マラソンは冬の競技というイメージですが、水泳、自転車、マラソンを連続して行うトライアスロンは、夏がピークシーズン。毎週のように大会が開かれています。
 その水泳やトライアスロンの大会で、水難死亡事故が毎年のように起きています。
今回は、各地のトライアスロン大会でドクターとして救護班を指揮し、何度も事故に際して救助を行ってきた私の経験を紹介しながら、スポーツ大会で起きる水難事故の実態と予防法を解説しましょう。

 「溺れている人」に関する大きな誤解

 まずは「溺れている人」について、皆さんが抱いている誤解を解きたいと思います。
 「人が溺れているところ」と言われたら、どんな状態を思い浮かべますか?
 「水面でバシャバシャ暴れる」「助けてくれ!と叫ぶ」などという答えが返ってきます。
テレビのバラエティー番組などで見る「溺れた演技」もそんな感じです。
実は、本当に溺れて救助が必要な人は、多くの場合もっと「静かに」溺れています。

 (1)溺れて救助を必要とする人が、「助けて!」と大声で叫ぶことはめったにありません。
 (2)溺れて救助を必要とする人は、口が水面に出る、水面下に沈む、を繰り返します。
 (3)溺れて救助を必要とする人が、手を振って助けを呼ぶことは、多くの場合できません。

 「溺れた原因」の事故や病気に関係なく、溺れている人に意識がある場合はこの三つの共通点が見られます。
逆に言えば、意識がなくなると水面下に沈んでしまい、より危険な状態になります。
水難事故では、できるだけこの静かに溺れている状態で発見し、救助を始めることが大切だ、ということを、大前提として覚えておいてください。

 集団で一斉に泳ぐ大会は、蹴り足に注意

 次に、状況ごとに水難事故のタイプ分けをしてみましょう。
海を泳ぐオープンウオータースイム大会やトライアスロン大会では、大勢の選手が一斉に泳ぐ「集団泳」が行われます。
 この時、1人で泳ぐ場合にはない危険があります。
特に要注意なのが、混雑したスタート時に選手の足が後続の選手の頭や顔、胸に当たるケースです。
頭を蹴られて意識を失うこともありますが、平泳ぎのキックが後続選手の心臓の正面に当たると、極めて危険な事態に陥ります。
 あるトライアスロン大会、その選手はスタートから50mくらいの海面に浮かんでいるように見えました。
ライフセーバーに救助を指示し、ボート上に引き上げると、まもなく意識を回復しましたが、前の選手のキックが自分の胸を直撃したところまでは覚えているが、その後記憶がない、と言います。
心臓が収縮したタイミングに外部から強い衝撃を受けると、心臓がけいれんして血液を送り出せなくなります。
結果、脳の血流=酸素が不足して意識を失うわけです。もしボート上で意識が戻らなければ、岸に到着次第AED(自動体外式除細動器)を使う必要がありました。

  

同様のことは、野球でボールが胸を直撃した時も起きます。
そのため、少年野球や高校野球では、最近「胸の前でボールを捕る」という指導を行いません。

 低水温による“めまい” 対処はリタイアのみ

 水温にも注意が必要です。
海は夏でも水温が意外に低い、ということがよくあります。
冷たい海に急に入ると、全身の血管が収縮し、脳への血流が減少して意識低下を起こすことがあります。
 また耳の奥にある三半規管が冷えると平衡感覚が狂い、まっすぐ泳げず、蛇行するようになります。
こういう人は、1回のトライアスロン大会で10人程度発見します。
見つけると、すぐライフセーバーを急行させて意識を確認してもらいます。
このふらつきはめまいの一種なのです。
放置すると大抵海水を飲んでしまい、危険です。
低水温が原因ですから、対処法はリタイア以外にありません。

 過剰な練習の疲労が起こす心筋梗塞

 また、大会前日まで過剰な練習を積んで、疲労が蓄積している人は、泳ぎ切った直後に心臓にうまくエネルギー供給ができなくなり、心停止に至るケースがあります。
私が監督している場合、蛇行など不調の兆候を見つけるとすかさずリタイアさせるため、起きたことがありません。しかし気付かずに、あるいは無理をしてレースを続けると、海から上がってきた頃に意識を失い、そのまま亡くなる例が結構な頻度であります。
リタイア勧告に「厳し過ぎる!」と言われることがありますが、命には代えられません。
何よりマラソンでも水泳でも、「練習のしすぎ」は死を招きかねないことを、忘れないでください。

 プールでは首のけがの見極めが重要

 プールでの大会の場合、年齢に関係なく、飛び込み時のけがに注意が必要です。
プールの底に頭を打ち付け、頸椎(けいつい)や頸髄を損傷する事例があります。
この場合は、多くは水面で溺れる間もなく、沈んでしまいます。
 また、マスターズ大会で見るのは、心臓病の経験がある人が、飛び込み時の胸への衝撃で心臓のけいれんを起こす例です。
どちらも一刻を争う救助が必要です。
特に頸椎、頸髄損傷の疑いがある場合は、水から上げる時に首をしっかり保護してください。

またスピードを上げて泳ぎすぎ、心臓に過剰な負担がかかって、危険な状態に陥る例があります。
 ある大会で、高齢女性が25m平泳ぎのレースを終え、隣のプールでクールダウンを始めてまもなく、狭心症を起こしました。
近くにいた人が大声で私を呼び、3人がかりで引き上げました。
心停止を確認してAEDを使い、救急隊到着後、強心剤の点滴、気管挿管での人工呼吸を行って、救命救急センターに搬送。
心筋梗塞(こうそく)として治療を引き継ぎ、無事命は取り留めました。
レースで頑張りすぎたことが心筋梗塞の原因だったのかもしれません。
同様の事故はプールでの短距離レースで起きやすく、レース後いつ心停止が起きるか分からないので、怖い病態です。

  

 疾患別に見る「溺れ方」の特徴

 次に原因となる疾患別に、致命的な水難事故の「溺れ方」の特徴をまとめてみます。

 ●急性心不全、脳卒中、頸椎損傷、頸髄損傷などの場合
   手足を動かすことができなくなります。前述のように発症後すぐに水に沈む場合が多く、生命にかかわる危険な状態です。

 ●呼吸不全の場合
  水を飲んでしまい、呼吸に失敗するケースです。声を出すことができないので、しばらく水面でもがくことが多い事例です。この間に助け出す必要があります。

 ●低酸素症の場合
   潜水中に呼吸を止めていられる限界を超えてしまった場合、低水温で脳への血流が落ちた場合、集団泳で他人の足のキックが頭にあたり気絶した場合などがあります。初期の頭がぼーっとしている状態であれば、口が水面に出たり、沈んだりを繰り返しますが、そ   の後浮上せず沈んでしまうと、意識を失っている可能性が高く、緊急を要します。

 水難救助をする時は…

 まず、大声で周囲の人に助けを求めてから、119番通報をしてください。
1人で泳いで助けることは、2次被害の危険があり危険です。
浮輪やペットボトルなど身近にある水に浮く物を投げる方法も有効です。
水の中から引き上げることができたら、すみやかに応急手当を開始します。
 まず意識、呼吸、脈の確認です。
呼吸も脈も止まっていると確認したら、周囲の人を集めて、交代ですぐ心肺蘇生法を始め、救急隊が到着するまで続けてください。
 
 今回紹介した内容は、私自身がドクターとして体験した海やプールでの救助事例から、経験則をまとめたものです。
この分野は論文にまとめられるような内容ではありませんが、ドクターの目線で見ると、一般の方には知られていない救助のポイントがたくさんあります。
これらのポイントを、皆さんは水泳大会の参加者として読み、活用してください。水泳という、誰でも参加できる素晴らしいスポーツを、より安全に楽しめるようになるでしょう。