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ホテルマンのシエスタより
▲ 仏教における死後の世界 |
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日本の仏教式の葬儀では、遺体に旅装束を施す。 これは仏教で、死者は冥土の旅に出ると考えているからである。 冥土の旅は、まず山道からはじまるという。 星の光だけを頼りに一人でとぼとぼ7日間をかけて歩いていく。 この間、死者の体はとても小さく人間からは見えないが、おなかが空くので、香を食べている。 現在でも、仏壇にお線香を絶やしてはいけないというのは、そういう意味である。 死んでから7日目に、冥土の王庁に到着する。 ここで生前に犯した罪について裁判を受け、来世の行き先が決まる 初七日の法事は、最初の裁判官である秦広王の前に立つのが死後7日目という事に基づいている。 最初の裁判を終えると、すぐ三途の川の前に出るとされる。 インドの法典にはこの川の事は出ていないが、中国で作られた「十王経」という教典に、この川の様子が語られている。 日本では、平安時代の中期以降、三途の川について知られるようになった。 それによると、川は冥土を横切る大きな川で、誰もがこの川を渡らなければならない。 この三途の川という名は、渡り方が3通りある事に由来し、死者の生前の行いの善し悪しによって渡り方がちがってくる。 罪の軽い死者は橋を渡れるが、罪が重くなると歩いて渡らなければならない。 それでも比較的罪の軽い人は浅瀬。 より罪の重い人は濁流の中を渡る事になっている。 この三途の川の渡し賃が六文とされ、昔から棺に六文銭を入れる習慣は、三途の川を渡る為である。 三途の川を渡ると、岸に「衣領樹」という木があり、そこで死者は衣服をはぎ取られる。 裸にされると目の前に第二法廷があって、そこで生前の殺生について裁かれる。 さらに、第三法廷では邪淫について調べられ、死者が男ならネコが男性器にガブリとかぶりつき、死者が女なら、ヘビが女性器から体内に入って調べるという。 その後、第四法廷で生前の言動における悪が裁かれ、 第五法廷ではかの閻魔大王によって生前の悪行が、「浄玻璃」という鏡に映し出される。 うっかりウソをつくと、舌を抜かれるのは、この場面である。 第六法廷で、再度生前の悪行について調べられ、 いよいよ最後の第七法廷で、泰三王によって、来世の行き先の最終決定がくだされる。 ここまで四十九日かかり、遺族が四十九日の法事を営むときに、死者の行き先が決まることになる。 ただし、泰三王は、死者にたいして、「行け」としか言葉を発しない。 この前は六つに道がわかれていて、それぞれ、天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道へとつづいている。 死者は、その六つの道のうちからひとつを選んで歩き始めるが、どの道を選ぶかは、その人の生前の行いによって決まるといわれている。 つまり、前世の行いには、必ずその報いがくるというのが、仏教の大原理となっている。 |
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お盆の正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ]と言います。 先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。 ◇7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。 ◇13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。 ◇期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をします。 ◇16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。 ●逆さ吊り? |
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盆踊りは本来は仏教行事です。 平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するためのものという意識になっていきました。 室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれています。 時代とともに、宗教的意識は薄くなり、民衆の娯楽として発展してきました。 地方によっては男女の出会いの場、求婚の場として、重要な行事となっていました。 現代では、すっかり“踊りを楽しむお祭”として各地で催されるようになっています。 ※最近では宗教的な色合いは薄れてきましたが、元来盆踊りは、戻ってきた精霊を慰め、送り出すために催されてきました。 |