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ホテルマンのシエスタより





                   


 仏教における死後の世界


日本の仏教式の葬儀では、遺体に旅装束を施す。
これは仏教で、死者は冥土の旅に出ると考えているからである。

冥土の旅は、まず山道からはじまるという。

星の光だけを頼りに一人でとぼとぼ7日間をかけて歩いていく。
この間、死者の体はとても小さく人間からは見えないが、おなかが空くので、香を食べている。
現在でも、仏壇にお線香を絶やしてはいけないというのは、そういう意味である。

死んでから7日目に、冥土の王庁に到着する。
ここで生前に犯した罪について裁判を受け、来世の行き先が決まる
初七日の法事は、最初の裁判官である秦広王の前に立つのが死後7日目という事に基づいている。

最初の裁判を終えると、すぐ三途の川の前に出るとされる。
インドの法典にはこの川の事は出ていないが、中国で作られた「十王経」という教典に、この川の様子が語られている。
日本では、平安時代の中期以降、三途の川について知られるようになった。

それによると、川は冥土を横切る大きな川で、誰もがこの川を渡らなければならない。
この三途の川という名は、渡り方が3通りある事に由来し、死者の生前の行いの善し悪しによって渡り方がちがってくる。

罪の軽い死者は橋を渡れるが、罪が重くなると歩いて渡らなければならない。
それでも比較的罪の軽い人は浅瀬。
より罪の重い人は濁流の中を渡る事になっている。
この三途の川の渡し賃が六文とされ、昔から棺に六文銭を入れる習慣は、三途の川を渡る為である。

三途の川を渡ると、岸に「衣領樹」という木があり、そこで死者は衣服をはぎ取られる。
裸にされると目の前に第二法廷があって、そこで生前の殺生について裁かれる。

さらに、第三法廷では邪淫について調べられ、死者が男ならネコが男性器にガブリとかぶりつき、死者が女なら、ヘビが女性器から体内に入って調べるという。

その後、第四法廷で生前の言動における悪が裁かれ、

第五法廷ではかの閻魔大王によって生前の悪行が、「浄玻璃」という鏡に映し出される。
うっかりウソをつくと、舌を抜かれるのは、この場面である。

第六法廷で、再度生前の悪行について調べられ、

いよいよ最後の第七法廷で、泰三王によって、来世の行き先の最終決定がくだされる。

ここまで四十九日かかり、遺族が四十九日の法事を営むときに、死者の行き先が決まることになる。

ただし、泰三王は、死者にたいして、「行け」としか言葉を発しない。

この前は六つに道がわかれていて、それぞれ、天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道へとつづいている。

死者は、その六つの道のうちからひとつを選んで歩き始めるが、どの道を選ぶかは、その人の生前の行いによって決まるといわれている。

つまり、前世の行いには、必ずその報いがくるというのが、仏教の大原理となっている。

















お盆のいわれと由来
                                            

お盆の正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ]と言います。
先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。

◇7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。
◇13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
◇期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をします。
◇16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。

●逆さ吊り?    

[盂蘭盆会・うらぼんえ]とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。

お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。
目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。
そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言われました。
「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。

目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。
それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。

わが国では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。

日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによってさまざまですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています。


お寺では施餓鬼供養をしますが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行います



盆踊りのルーツ


盆踊りは本来は仏教行事です。

平安時代、空也上人によって始められた念仏踊りが、盂蘭盆の行事と結びつき、精霊を迎える、死者を供養するためのものという意識になっていきました。

室町時代の初めには、太鼓などをたたいて踊るようになったといわれています。

時代とともに、宗教的意識は薄くなり、民衆の娯楽として発展してきました。

地方によっては男女の出会いの場、求婚の場として、重要な行事となっていました。
現代では、すっかり“踊りを楽しむお祭”として各地で催されるようになっています。

※最近では宗教的な色合いは薄れてきましたが、元来盆踊りは、戻ってきた精霊を慰め、送り出すために催されてきました。
また、戻ってきた霊が供養のおかげで成仏できた喜びを踊りで表す、と伝えられている地方もあります。
私たちが、祖先に感謝し生きていることの喜びを表現するために踊ると考えてもよいでしょう。