ホテルマンのシエスタより


鎖国の原因は奴隷貿易



1444年、アメリカの大西洋を探検したポルトガル人は、何人かのムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)を捕まえ、
のちに彼らを返す代わりに、10人の黒人奴隷といくらかの砂金を受け取った。
これに味をしめ、以後現在の奴隷海岸と呼ばれている地域に進出して、奴隷の取引をしたのが奴隷貿易の始まりとされている。



ヨーロッパ諸国の植民地における奴隷制度は1849年までに廃止され、アメリカ合衆国では南北戦争後の奴隷制度廃止廃止とともに奴隷貿易も終わった。
だが、16世紀以来アフリカから奴隷として運び去られた住民の数は、300年間で5000万人に達したと言われている。



ところが、奴隷として売られていたのは、アメリカの黒人だけではなかった。
なんと大勢の日本人がポルトガル商人によってインドやヨーロッパ、遠くは南米のアルゼンチンにまで、奴隷として売られていたのだ。

それは、1543年、ポルトガル人が初めて種子島を訪れた直後から始まっている。
1582年にローマに派遣された天正遺欧少年使節の一行も、各地で日本人奴隷の悲惨な状況を垣間見ている。



また、豊臣秀吉は、1587年(天正15年)にバテレン追放令を発布して、その中で日本人奴隷の売買を厳しく禁じている。

       

ポルトガルの商人にとって南蛮貿易とは、珍しい物品を選んできては日本人奴隷を買い付ける商売でもあったのだ。
日本人奴隷の問題が、やがて日本をキリシタン弾圧や鎖国へと向かわせる要因にもなった。