ホテルマンのシエスタ
<お薦めの本>
IT社会の陥穽を指摘する問題提起の書
『閉じこもるインターネット グーグル・パーソナライズ・民主主義』
イーライ・パリサー 井口耕二〔訳〕
評者 山形浩生
いま、グーグルを筆頭に各種のインターネットサービスは、人々の特性や過去の検索・購買・メールなどの履歴にあわせて提供内容を変えつつある。
おかげで検索結果やおすすめ商品はグッと精度が上がり、望むものがすぐ得られるようになる。
嫌いなもの、興味のないものは目にせずにすむ。すばらしい・・・・・のだが、本書はなんと、それがよくないことだと主張する。
客に望まないものを見せろ、と。欲しくないものを無理やりおしつけろ、と。ばかばかしい? だが、著者の主張には一理ある。
民主主義の基本は、ちがう見解の存在を知り、議論の中で解決策を探ることだ。
社会問題の解決には、まず人々が嫌なものを直視して問題の存在を知らなくてはならない。
でもこのネットのフィルタが徹底すれば、自分と同類の人々が好まないものは、そもそも検索結果にすら登場しない。
同類の人だけがつながり外部に目を閉ざし、異論は徹底的に排除される。
そうなったら社会は分断され、自閉してしまう・・・・・
これまでのメディアは、そこまで細かい差別化は不可能だった。
新聞の見出しくらいはみんな嫌でも見るし、七時のニュースで流れる内容は多くの人が目にする。
そこに社会の共通基盤があった、と著者は述べている。
物理世界では、どんな管理も規制も不完全でしかないが、そこにこそ自由と民主主義の基盤があるのだ、という主張はネット法学の権威レッシグらの主張と同じだ。むろん、これを心配するほど今のグーグル検索の精度が高いかどうかは議論の余地あり。
そしてどうすればいいのか?著者の提案の多くは、評者には現実的とは思えないし、そもそもネットばかりに頼るな、という当然かつ最大の解決策がすっぽり脱落しているようにも思う。
が、そうした行動改革のためにも、フィルタの存在とその功罪についての認知は必須だ。
その第一歩として、本書はよい入り口を提供してくれる。