ホテルマンのシエスタ
【歴史】
オリンピック・トリビア!
吹浦忠正
「チベット弾圧」が招いた混乱の「北京五輪」聖火リレー
2008年の夏季五輪は北京で行われた。
中国がオリンピックを開催したのは、これが初めてである。
中国はもちろん、「大国」ではあるが、拡張主義、人権軽視の面で、世界の潮流からは半歩、いや、二歩も三歩も遅れた国だ。
この五輪を開催する5カ月前にも、チベットに武力弾圧。
それに端を発して、五輪で国威発揚を図る中国と、チベット弾圧に抗議する人々との軋轢により、聖火リレーは、各地で衝突を招いた。
日本も例外ではなかった。
日本での聖火リレーは、その10年前の冬季五輪開催地・長野市で行われた。
当初は、名刹・善光寺を出発式会場にする予定だったが、寺側が辞退し、境内の使用ができなかった。
寺側は、「妨害活動による混乱の未然防止」「同じ仏教寺院として、チベット及びチベット仏教に対する配慮」という理由を挙げた。
波紋を呼んだのは、辞退表明の2日後、をの善光寺の本堂回廊などに計7箇所、白いスプレーによると思われる落書きが発見されたこと。
犯人は未だ謎のままであるが、「辞退」との関係を巡って、様々な憶測を呼んだ。
“歓迎されざる空気”を感じ取ってか、中国側は、駐日大使館の指導と支援のもとに、在日中国人留学生組織「学友会」が約4000人を長野に動員。
リレーを盛り上げようと試みた。
私の教え子のある留学生などは、「参加しなくては帰国の際、入国査証が出ない可能性がある、と強く言われたので仕方なく長野に行った」と実情を語ってくれた。
若干の手当ももらったという。
こうした動員の効果もあって、聖火リレー当日、長野市の目抜き通りはほとんど中国の国旗「五星紅旗」で埋め尽くされた。
しかし、国旗は国際理解の第一歩であり、五輪旗は平和共存の象徴、友好と協力の証である。
中国側はなぜ、「五星紅旗」の他に「日の丸」と「五輪旗」を用意しなかったのか。
かえすがえすも惜しまれる。
ランナーとして市内を走った中には、星野仙一(プロ野球監督)、末續慎吾(陸上)、岡崎朋美(スピードスケート)、萩本欽一、福原愛(卓球)、有森裕子(マラソン)、野口みずき(マラソン)らがいた。
が、走行中に、萩本は発炎筒を投げつけられ、福原は「Free Tibet!」と絶叫する男性に乱入されるなど、極めて後味の悪い聖火リレーに終わった。
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