変見自在 (週刊新潮)より
高山正之 著
宋庚一先生はえらい 南京大虐殺の真実
南京大虐殺という壮大な虚構は支那人が考え出した風に言われる。
それはない。支那人は物真似はうまくても、そういう発想力はない。
いやいや蒋介石は英紙特派員ハロルド・ティンパリを使って南京大虐殺を書かせたじゃないか。
それも違う。彼は実は米オピニオン紙「アジア」での活動が長い。
同氏はパール・バックの夫R・ウォルシュが経営し、反日プロパガンダを指揮する米広報委員会(CPI)の傘下にあった。
CPIは国務長官、陸海軍長官、新聞界代表の四者で構成し、支那派遣の米紙特派員や宣教師連中を使って反日宣伝をやらせていた。
西安事件の折に宋美齢と現地に飛んだニューヨーク・ヘラルド紙のウイリアム・ドナルドもその一人で張学良を脅して蒋介石を解放させている。
状況証拠だけだが、このときドナルドは「米国は蒋介石を選び支那に満州もモンゴルもくれてやった。約束通り日本を叩け」と米大統領F・ルーズベルト(FDR)の言葉を伝えた。
蒋介石はこのあと盧溝橋事件を起し、通州で邦人200余人を虐殺し、どどめに上海の日本租界を6万精鋭部隊に攻撃させた。
FDRの思惑通り、日本は支那との泥沼戦争に飲み込まれ、南京、武漢へと戦線を伸ばしていった。
FDRはCPIを通じ「悪い日本が善良な支那を侵略する」宣伝をやらせた。南京陥落も材料にした。
米紙特派員はそろって「数千人が殺され、女は暴行された」と報じた。
宣教師ベイツも神に仕える身でありながら「支那人が山と殺された」と東京裁判で偽りを並べ立てた。
しかし折角の米国製南京大虐殺話は、当の支那人ですら嘘が過ぎると興味を示さなかった。
その後、米国は広島長崎に原爆を落とす。無辜の市民20万を殺し、その相殺材料に南京を再度持ち出さねばならなかった。
まずはGHQに屈服した朝日新聞が「南京市内で四日間に2万人が殺され、切り刻まれた肉片が散乱していた」(昭和20年12月8日)と報じた。
その当時、現場にいた同社カメラマンは日本兵と並んで笑顔を見せる市民や子供を撮っていたというのに。
しかし原爆と相殺するのに2万は少なすぎる。
で、東京裁判判決では一気に一桁上の20万人にした。
これで2発の原爆で殺された非戦闘員数に相当するという主張だった。
まつもな学者なら一桁上げに首を傾げるが、そうでない学者が多かった。一橋大の藤原彰や都留文科大の笠原十九司らは20万を積極的に支持した。
尤も藤原は朝日が持ち込んだ煙幕写真に「そうです。これが日本軍の毒ガスです」と志村けん風にコメントした。
真実などどうでもいい学者だった。
笠原も日本軍に守られて家路につく女性たちの写真を口絵に使い「日本軍に拉致される江南の女たち」「凌辱され殺された」と書いた。
彼も嘘厭わない。
しかし、ODAが欲しい江沢民は「30万人」に固着し、南京記念館に30万の文字を入れ、定着させた。
それに上海震日職業学校の女性教師、宋庚一が授業で疑問符を付けた「30万人を裏付けるデータなど何もない」「憎しみ続けるべきではない」と。
南京は架空だし、数字も架空なのだと教えた。
それを生徒が隠し撮ってネットにアップした彼女は即座に「解雇された」(人民日報)
騒ぎは続く。宋庚一の身を案じる湖南省の女性教師、李田田が「彼女の主張を支持する」「告げ口をした生徒の方を罰せよ」とSNSで主張した。
そしたら官憲が飛んで行って李を捕まえ「家族の承認を取って」(読売)精神病院に放りこんだ。
志那には立派ないたことにに驚く。
対して南京大虐殺を宣伝してきた朝日は彼女らの顛末を一切載せていない。
逆に藤原彰の弟分、吉田裕を出して自虐史観万歳を再確認していた。
新聞を名乗って恥ずかしくないか。
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日本のジャーナリスト、コラムニスト。元産経新聞記者、元帝京大学教授。