ホテルマンのシエスタより
米がミサイル技術拡散懸念 |
北朝鮮は、なぜ、近隣諸国を敵に回してでも、ロケット発射実験を繰り返し行っているのか。 |
2009年4月5日、11時30分、ついにテポドン2号が太平洋に向けて発射された。ロケットはどうも2段ではなく3段式のようだ。
1段目のブースターは秋田沖に落下し、残りのブースターと本体は日本上空を飛び超え、太平洋上で爆発、墜落した。
これを自衛隊が追尾。迎撃体制をとった。
北朝鮮は、これは人工衛星打ち上げロケットだとしているが先端部分に衛星は見あたらない。
また、当初、追尾に貨物船(漁船?)を2隻、秋田沖と太平洋に配置予定だったが太平洋に向かう途中に船が故障し観測出来なかったと報じられている。
しかし、ロケットで衛星を軌道に乗せるにはマッハ20(音速の20倍)を超えるスピードが必要なのに・・・貨物船?
<北朝鮮がミサイル発射> 2009年4月5日 11時30分 日本上空を通過・・・太平洋に墜落。
今回、北朝鮮には、人工衛星打ち上げ名目の長距離弾道ミサイル発射で、商品としてのミサイル技術を示す狙いがあった。
1段目ブースターがほぼ予定通り切り離される等、技術一定の進展は、核やミサイルの闇取引を刺激して技術拡散を加速する恐れがあり、米国にとっても脅威が増大しているのです。
北朝鮮がほかに国に技術を渡すのは防ぎ切れるだろうか
ライス米国連大使は5日、テレビで憂えた。
北朝鮮のミサイルや核技術が、イランやパキスタン、更にテロリストに渡る懸念を示したものだ。
北朝鮮のミサイル開発は、1980年代に本格派。ソ連製弾道ミサイル「スカッド」を分解、研究し、模倣、発展させた。
スカッドミサイル テポドン2
米議会資料によると、北朝鮮は90年代、パキスタンのカーン博士の「核の闇市場」との結びつきを強めた。
カーン博士の仲介で、パキスタンは、ミサイル技術の見返りに北朝鮮にウラン濃縮用の遠心分離器を提供した。
米民間研究機関「センター・フォア・アメリカン・プログレス」のアンドリュー・グロット上級研究員は「北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射から得られた知見は、イランのミサイル性能向上に利用される」とのべる。
別の民間機関「軍備管理協会」のポーター・クレイル研究員も「米国は、イランからの直接攻撃へ備えを急がなくてはならない」と強調する。
米議会調査局は2月に公表した報告で、闇市場と北朝鮮と結びつく国として、シリアなども挙げ、取引先の国を通じてテロリストに技術が渡る危険に警報を鳴らした。
発射を転記に、「新たなビジネスが生まれる」(ロバート・ジョセフ国務省核不拡散担当特使)と警戒する声が米国内でも強まっている。
どうして民家のある日本上空を通過?
軌道については地球の自転を利用した場合、東向きに発射することが有利であるが、人口密集地を含む他国の上空を通過させることは政治的に極めて異例である。
テポドン」とは、このミサイルが確認された地名(大浦洞)からアメリカがつけたコードネームであり、「テポドン1号」は北朝鮮側では”ロケット”として「白頭山1号(ペクトゥサン
イルホ/はくとうさん いちごう)」と呼称されている(弾道ミサイルとしての名称は不明)。
また、2009年4月に「人工衛星”光明星(クァンミョンソン)2号”を打ち上げる」と発表された”ロケット”は、北朝鮮の公式発表では”銀河(クンハ)2号”と呼称されている。
標的は?
・韓国はスカッド、日本はノドンで十分狙えるため、テポドンは日本ではなくアメリカを狙っているとの見方が強い。
・北朝鮮政府は2006年7月5日のミサイル発射に際して、オーストラリア政府の抗議に対し「テポドンはオーストラリアを射程に含めている」と発表している。
中国の役割
・中国は北朝鮮の実質的なパトロンであり、対外貿易の90%、経済支援の80%以上を国を上げて支えている。
北朝鮮の攻撃エリア
◎世界の核実験と核弾頭保有数
核 実 験 | 弾頭保有数 | 国際連合の 立場 |
|||
国 名 | 大気圏 | 地 下 | 合 計 | ||
■アメリカ | 215 | 815 | 1030 | 5576 | 国連常任理事国 (第二次世界大戦 戦勝国) |
■ロシア(旧ソ連) | 219 | 496 | 715 | 3909 | 国連常任理事国 (第二次世界大戦 戦勝国) |
■フランス | 50 | 160 | 210 | 300 | 国連常任理事国 (第二次世界大戦 戦勝国) |
■イギリス | 21 | 24 | 45 | 160 | 国連常任理事国 (第二次世界大戦 戦勝国) |
■中国 | 23 | 22 | 45 | 125 | 国連常任理事国 (第二次世界大戦 戦勝国) |
■北朝鮮 | 2 | 100 | |||
■イスラエル | ? | 80 | |||
■パキスタン | 0 | 1 | 1 | 60 | |
■インド | 0 | 2 | 2 | 50 |
※62年以後のイギリスの実験はアメリカと共同でネバダで行なわれた。したがってアメリカの実験数はここに示されたより多い。
※同一の爆発で複数の装置が爆発させられた場合も1回と数えてある。
※大気圏の実験には水中で行なわれたものが含まれる。
う~ん 世界の平和を核で守ろうとしているのでしょうか?
※国連加盟192か国で何か決めても、第二次世界大戦の戦勝国で独占している常任理事国(5カ国)の内、1国でも反対なら否決される。
もう戦後50年以上経過しているので、いつまでも戦勝国支配はおかしいのでは・・・
常任理事国は、国連に加盟しているすべての国による選挙で選出されるべきではないでしょうか。
世界中で行われている核実験の一部・・・
● 2,053回の核爆発の場所が分かる映像
1945年から1998年までの間、計2,053回も繰り返されてきた核実験。
どの国が、いつどこで核実験を行ったかを地図上で視覚的に感じられる映像です。
日本以外の国は、核爆弾の恐怖は解らず、「普通の爆弾の大きいもの」ぐらにしか考えていません。(あのアメリカでさえも、映画やTVドラマで画く核爆弾はその程度)
また、広島や長崎で使われた原爆と今の核爆弾は全くの別物です。今の核は、放射能が半減するには1000年以上かかるとの事です。一度被爆した地帯は永遠に不毛地帯と化します。
もし、東京に落ちたら・・・ もし、ニューヨークに落ちたら・・・ そこは永久に死の大地に・・・
もし、どこかで核が使われ報復となったら、放射能が地球を被い・・・生命すべてが・・・おわり・・・
そんなことにならないよう・・・人種、宗教、イデオロギーを超えて、みんなが幸せを願い、争いがない世界を造ることが、今の私たちの義務であり、責任なのです。
※ このページは、新聞、WEB、その他 を参考に作りました。
今回、私の生まれ故郷の真上をミサイルが飛んだので、このページをつくらせて頂きました。
そして核のない平和で明るい未来を願って。 (-_-)
2009年4月5日
<追記①>
放射能については、原子力発電所も脅威となっています。(今日本には原発が50機近く稼動している)
今は原発の大事故が起きていないが、一旦、テロや大地震にあったら「チェリノブイリ」の二の舞です。
原発については、平井憲夫氏のHPを参考にすると良いと思います。けっこう長文ですが最後まで読むことをお薦めします。
↓クリック
「原発はどんなものか知ってほしい」
「原子力発電所は危険なのか? メリットとデメリットを検証」
<追記②>
第二次大戦末期、日本もまた原爆開発に手を染めていた。
開発には二つの研究開発グループが参加していた。
1つは、陸軍/理化学研究所・仁科芳雄研究室。
もう一つは、海軍/京都帝大・荒勝文策研究室。
研究は前者が先行していたが、共に基礎研究にとどまった。
万が一、開発に成功していたなら、戦争指導部は躊躇なく敵国への使用に踏み切っただろう。
日本は原爆の被災国となったが、偶然にも開発出来なかったゆえに加害者になることを免れたのである。
アメリカやドイツの原資物理学者がそうであったように、政治、軍事に自らの科学を従属させるためには、信念や思想が必要だが、
日本の科学者の場合は、自らの研究を補償する時間と予算さえ与えてくれれば容易にそれに従うように思える。
終戦間際、福島県石川町の中学生たちは、勤労動員のもと、ウラン鉱石の採掘にかり出された。
いま、日本の原子力発電所への道を安易に突き進んでいる原子物理学の教授や研究者たちの顔とだぶる。
2010.8.6
日本も原爆製造に・・・ ➝ リンク
●マンハッタン計画の真実(原爆投下はどうして広島と長崎だったのか) = 外部リンク
<米海軍>原爆投下前に電文「長崎、小倉、広島入らぬよう」
2018年8月10日 (金) 毎日新聞 電子版より
1945年8月9日の長崎への原爆投下を前に、米海軍への長崎出撃などを禁じた同軍の極秘電文3通が米国立公文書館で見つかった。
同1~4日付電文で、太平洋艦隊司令長官が日本近海で部隊を率いる第3艦隊司令官に送信していた。
米兵の被ばく防止と原爆投下を計画通りに進める狙いがあったとみられる。
第3艦隊の攻撃目標も長崎から東北地方に変更され、その後の東北空襲につながったことも判明した。
米軍資料から空襲の実態を調べる市民団体「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の工藤洋三事務局長=山口県周南市=が昨年、同公文書館保存のファイルから発見した。
いずれの電文も太平洋艦隊司令長官ニミッツが、前線で第38任務部隊を率いる第3艦隊司令官ハルゼーに送っていた。
工藤事務局長によると、海軍の前線に原爆投下に関する情報が事前に伝わっていたのが確認されるのは初めてとみられる。
米陸軍が主導して原爆投下を極秘裏に進める中、第3艦隊が空母などで編成した第38部隊は8月5日、日本海軍の拠点だった長崎・佐世保を攻撃予定だった。
最初の電文は部隊が太平洋にいた1日付で「4日に(原爆投下の)ターゲットの一つが京都から長崎に変わった」と伝達していた。
2日付電文は「4日または5日、後に伝える時刻の4時間前から6時間後まで、長崎、小倉、広島の半径50マイル(約80キロ)に入らぬよう」命じた。
小倉(北九州市)は投下候補地の一つで、工藤事務局長によると、敵のレーダーを妨害するために空爆機はアルミニウムをまくが、空中に残っている間に原爆を投下すると予定より高い地点で爆発する恐れがあった。
時間を区切ったのは、作戦の成功と米兵の被ばく防止の狙いがあったとみられる。
4日付電文には原爆の投下を命じられていた米陸軍「第509混成群団」が作戦を実行するので、第38部隊の「九州と本州西部」への出撃を禁じた。
この命令を受け、第38部隊は東北地方に転戦。9、10両日に宮城・岩手・山形などの軍事施設を一斉に空爆したが、背景に原爆投下があったことも明らかになった。
工藤事務局長は電文を分析した内容を盛り込んだ「アメリカ海軍艦載機の日本空襲」を先月に自費出版した。
防衛大の等松(とうまつ)春夫教授(外交史)は「米政府は原爆投下作戦を極秘に進めていたが、投下の数日前には爆発の影響を想定し、日本近海で活動する海軍部隊の最高レベルには警告を出す必要が生じたことを示している」と指摘した。