ホテルマンのシエスタより
逆説の日本史 新春特別編 と名うって、週間ポスト誌に掲載されていた、井沢元彦氏の歴史記事が、チョット普通の歴史書と違った見方をしていたので目にとまりました。 古事記が文字化されて今年で1300年目に当たる事もあり、その掲載記事を紹介します。 興味の無い方は無視してください。 井沢元彦氏については、彼の歴史作品の代表作である『逆説の日本史』を一度読んでみたらいいかも。 ただ、これが日本史の正統かというと、それはタイトルの「逆説」にあるようにそうではないようです。 井沢氏の歴史観にはいろいろ考えさせられることが多く、日本史観を整理するには、役つかも・・・とのこと。 ※井沢元彦:歴史小説作家・推理作家・ 歴史研究家・元TBS報道記者。 ウィキペディア |
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「ケガレ思想」「国譲りの和」。 日本人の心底に染み付いた行動原理は『古事記』に源流が求められる。 叙述されて今年でちょうど1300年。天皇号を使って「独立国家」として歩み始めた時代に編まれ、かくも長きにわたって日本人の精神世界に強い影響を与える「聖典」の謎を解き明かす。 |
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『古事記』1300年の“呪縛”を追う | ||||||||||||||||||||
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『古事記』、一般には「こじき」と読む。 これは日本の神話に関する最も古い伝承(稗田阿礼が暗唱で伝えていたとされる)を、今から1300年前に太安万侶が文字化したとされるものだから、ここはやはり大和言葉で「ふることのふみ」と呼びたい。 『古事記』の大部分は日本創世から天皇家の支配が固まるまでの神話が中心だから、私はちょうどユダヤ民族における『旧約聖書』のような、「神道」あるいは「日本教」の聖典と考えている。 ここが歴史書の性格が強い『日本書紀』との大きな違いだ。 それはたとえば、神々の世界を意味する高天原という名詞が、『古事記』では頻繁に登場するのに、『日本書紀』にはほとんど記載されていないことからもわかる。 高天原はいわば「天国」であり「オリンポス」であるから、リアルな歴史書では扱いにくい。それを『古事記』は正面から扱っているのだ。 本来なら、この『古事記』から「日本教」の教理を抽出し、それを日本史の解析に用いるべきだろう。 ちょうどユダヤ教やキリスト教を信じる欧米世界において、契約や一神教という概念が人間の行動に大きな影響を与えていることを念頭に置きつつ歴史を解釈していかねば何事も始まらないように。 ところが、日本の公式な学問としての歴史学は、日本史に与える宗教の影響をほとんど無視してきた。 もちろん専門学者は「そんなことはない、仏教にしても怨霊信仰にしても、きちんとフォローしている」と反論してくるかもしれないが、それなら『万葉集』の基本概念である言霊の概念を日本人の多くがきちんと理解していないのは、どうしたわけだろう。 言霊とは言葉に呪力(物事を実現させる力)があり、そうであるがゆえに無闇に「縁起の悪い言葉を口に出してはならない」という信仰だ。 この信仰があるがゆえに、映画も公開され今話題の山本五十六は「アメリカと戦っても勝てない」という意味の言葉を口にしたことにより、海軍次官から連合艦隊司令長官という「現場監督」に格下げになってしまった。 そして、この信仰があるがゆえに「人間の作ったものに絶対安全は無い」という常識中の常識が無視され、「原発は絶対安全です」という神話を語るものが出世し、今また「山本五十六」は排除されることにもなった。 日本人が、自己の宗教を見つめ直して歴史を研究しない限り、過ちは永遠に繰り返されることになるだろう。 だから『古事記』も、より深く「日本教」の教典として、その中味を分析する必要がある。『古事記』で一番顕著で、理解しやすい宗教概念は「ケガレ(穢れ)」であろう。 「ケガレ」と「ヨゴレ(汚れ)」は似ているようでまったく別のものだ。 「ヨゴレ」は基本的に洗い落とすことが出来る。放射能汚染のように厄介なものはあるがそれでも除染することは出来る。 しかし「ケガレ」は洗い落とせない。 なぜなら、それは死や様々な不幸によって発生する「気」すなわち実体の無い宗教的な存在であり、神と同じく物理的にはその存在を確定できないものだからだ。 しかし、神と同じように、信ずるものにとっては「ケガレ」は存在する。 したがって、「ケガレ」の影響も受ける。 日本人は歴史教育の欠陥のせいで、「ケガレ」を嫌う性質があることを計算に入れないで、歴史を考えているが、これはとんでもない話なのである。 『逆説の日本史』で何度も言及したように、日本の宿痾(持病)である部落差別問題も究極の原因はこれであると、私は考えているし、これさえ認識していれば古代の天皇たちが一代ごとに都を遷すという、経済的に考えたら極めて不合理なことを繰り返していたことも、合理的な説明がつく。 天皇の死による「ケガレ」こそ、最も避けるべき「ケガレ」であり、それに染まった人間や場所を除染不可能と考えるからこそ、こうした行動に出るわけだ。 国生みをして国土を誕生させたイザナギ、イザナミの夫婦神のうち、イザナミは火の神を分娩した時の火傷がもとでこの世の生が終わり黄泉の国へ行くことになった。 悲しんだ夫のイザナギは彼女を連れ戻しに黄泉の国へ降りていくが、彼女は既にケガレに満ちた黄泉の国の食物を食していたため連れ帰ることが出来ず、結局は激怒するイザナミを残して地上へ逃げ帰ることになる。 死の「ケガレ」に満ちた黄泉の国から戻ったイザナギが最初にしたことは「ミソギ」(禊ぎ)であった。 通常の方法では除染できない「ケガレ」も、「ミソギ」という宗教的手段なら消すことが出来る。 具体的には、滑らかに流れている川の中に入って、全身をひたすのである。 ソレデ「ケガレ」は落ち身体は浄化される。 そして、イザナギの「ミソギ」によって、あの神々が生まれた。 是に、左の御目を洗ひし時に、成れる神の名は、天照大御神。 次に、右の御目を洗ひし時に、成れる神の名は、月読命。 次に、御鼻を洗ひし時に、成れる神の名は、建速須之男命。 右の件の、八十禍津日神より以下、速須佐之男命より以前の十柱の神は、御身を滌ぎしに因りて生めるぞ。(『新編日本古典文学全集1 古事記』 小学館刊) つまり、天皇家の祖先神であるアマテラスは、「ケガレ」を浄化する「ミソギ」によって誕生したのである。 このことを意識しているのと、しないのでは歴史の解釈が随分と違ってくるように思う。 最大の怨霊神となったオオクニヌシ 『古事記』の中には、もう一つ極めて重要な宗教的概念が示されている。それは「国譲り」である。
正確には「国譲りという行為によって示された和の精神」というべきかもしれないが、日本神話ではオオクニヌシという「先住民族の王」の存在を認め、その上で高天原にいたアマテラスが「日本(当時はまだそう呼ばないが)」を孫のニニギノミコトに譲るようにオオクニヌシを説得し、オオクニヌシはそれに応じたということになっている。 旧約聖書が典型的だが、これは古代の常識にはない考え方だ。 むしろ、十九世紀になってすらアメリカ人が先住民ネイティブ・アメリカン(アメリカ・インディアン)に対してしたように、「先住民は悪魔であり、それゆえ正義の民族が征服し新しい国を建てた」という形の神話が作られるのが常識だ。 日本ですら、天皇家の支配がオオクニヌシの譲歩によって確定した後、特に昔は「人皇」と書かれ「ヒト」であることを強調された初代神武天皇以降は、先住民に対する仕打ちは古代ユダヤ人や十九世紀のアメリカ人と同じである。 にもかかわらず、神代においてはそうなっていない。 これはやはり、まず「神話」という形で実際に行われたことの美化が行われたと考えるべきだろう。 つまり、世界の常識と同じく、天皇家のオオクニヌシ一族に対する征服は、神話に書かれているような平和的なものでは決してなく、おそらくは残酷で悲惨で強圧的なものであったろう。 それは、美化されたはずの神話ですらオオクニヌシの二人の息子(コトシロヌシ、タケミナカタ)が自殺に追い込まれたり生涯幽閉されたと書かれていることでもわかる。 二人の息子がそのような目に遭わされた結果、オオクニヌシが国譲りを認めたのだから、それが彼の「自由意志」に基づくものだと考えるのは、かえっておかしいことになる。 第一、もしオオクニヌシが国譲りを納得して行ったのなら、なぜ出雲大社という、中性の伝承では日本一とされていた(第一巻『古代黎明編』参照)「神殿」に祀る必要があったのか?国譲りの功は確かに大きいが、それだけでは決して「その国で一番大きい」神殿に祀られる理由にはならない。 なぜなら、いかに功績を上げたものがいたとしても、最大の神殿に祀られるのはあくまで最高神だからだ。 オオクニヌシは明らかに最高神ではない。にもかかわらず、本来の最高神(天皇の祖先神)であるアマテラスを差し置いて、なぜ最大の神殿に祀られているのか? それは、オオクニヌシが最高神でなくても、国を奪われたというその怨念の大きさから見て最大の怨霊神となったからだろう。 後世の例を見れば、菅原道真が死後に現役の大臣の地位をすべて超える太政大臣に任ぜられたことや、『源氏物語』『平家物語』が怨霊鎮魂のために書かれたことや,何よりも崇徳上皇の怨霊によって天皇家が政権を失ったと天皇家自身が固く信じていたことを考慮に入れれば、オオクニヌシこそ天皇家が恐るべき最大の怨霊神であり、それを鎮めるために天皇家が建立したのが「日本一」の出雲大社であり、その鎮魂によって保たれた平和な状態こそ「和」なのだということも見えてくる。 だから聖徳太子の言うように「和を以って貴しとなす」のだ。 たとえば私に対する反論として「神武天皇はナガスネヒコという大きなライバルを殺し国を奪ったが、その魂を祀ったなどという話は聞いたことがない」ということを言う人もいる。 しかし、これは人皇つまり人代(人の世)の話であって、私が今述べているのは神代の話なのだ。 ナガスネヒコの時代には、既に天皇家の支配の正当性は固まっていた。だから、「まつろわぬ」彼を殺すことは正義であり、桓武天皇に殺され国を奪われたエゾのアテルイと同じく、祀る必要はない。 しかし、神代にはまだ「日本の正統な支配者としての天皇」といえ地位は固まっていない。 ある意味で、アマテラスとオオクニヌシは対等でもある。 そういう状況下だからこそ、対等なライバルを不幸な死に至らしめた場合は大いに祀らねばならないのだ。 そして、それが行われたからこそ、アマテラスは自信満々(これは『古事記』になく『日本書紀』にしかないが)「天壌無窮の神勅」つまりこの国はアマテラスの子孫が治めることが確定した、と宣言するのである。 もう一度繰り返すが、オオクニヌシの死はこれより前、ナガスネヒコの死はこれより後なのである。 だから両者の死の意味はまったく違うのだ。 このように『古事記』は、われわれ日本人の精神世界に、今も強い影響を与えている。日本が本能的に競争社会を好まないのも根本に「和」の精神があり、つまるところそれは競争を行えば必ず勝者と敗者の怨念が世の中を悪くすると、本能的に感じているからなのである。
2012.01 井沢 元彦 |