ホテルマンのシエスタ




欽ちゃん(79歳)の 人生 どこまでやるの⁉

週刊文春 2020.6.4 より

先輩の選び方
 
今年はコロナウイルスのことで、落ち着かない生活がいつまでも続いているね。
とくに四月に社会に出た若者たちは、ただでさえ環境に大きな変化があるなかで、いつにも増して不安を感じている毎日だと思う。
それで、今回はそんな新社会人たちに向けて、ぼくが新人の時に大切だと考えていた姿勢について話してみようかな、と思うんだ。

まず、どんな仕事でも、若い人たちが成長するために必要なのは、良い上司や先輩に出会うことだ、とぼくは考えているの。
仕事の技術を磨いたり、与えられた作業をこなしたりすることは、もちろん大切だよ。でも、社会ではそれだけでは「成功」はつかめない。
自分にどんな「出会い」があるかに、いつもしっかりと気を配っておく必要がある。
その「出会い」こそが、将来の成功をつかむ上での大きな曲がり角になるからだ。


ぼくの生きてきた芸能界なんてのは、とりわけそうだった。
コメディアンとしての芸を身に付けていくと、いつかは次の舞台に上がるチャンスがやってくるわけだけれど、その機会をくれるのはいつだって「ちょっと上の先輩」や「付き合いのあるテレビ局のお偉いさん」だった。
芸能界ではそうやって、確かに「次の舞台に連れて行ってもらうこと」で、初めて大きな仕事ができるようになっていく。
だから、それまでにどんな上司や先輩に出会っておくかが本当に大切なんだ。


ただ、問題はそれが誰か、っていうこと。
新人にとって、周囲は全員が先輩。
先輩だらけの場所で、誰を信頼して付いていけばいいのかとなると、それを見極めるのがなかなか難しい。

ぼくも十八歳で浅草の劇場に入った頃、自分が迷いなく信頼できる先輩を見つけるために、ずいぶんといろんなことを試してみたものだった。

一つ例を挙げると、「ちょっとだけ、わざと損をしてみる」というのもそうだった。
「損」といっても、たいした損じゃない。
例えば、新人の頃、東八郎さんたち大先輩にお茶を淹れるのは、ぼくのような若手と決まっていた。
でも、ああいう場所の給湯室に置いてあるのは、だいたい安いお茶でしょ?誰もお茶の味なんて気にしていないから、会社も経費削減で安いものを用意しているものだ。
そのことに気づいたぼくは、あるときふと思いついて、ちょっと値段の高めのお茶を街で買ってきてみたの。
給料は安くても、お茶くらいなら買えたから。 

で、そのお茶を先輩たちにそっと淹れてみたら、案の定、誰もお茶が変わった事なんかに気づかない。
でも、十人のうち九人が気付かなくても、一人くらいは「おや?」と違和感を抱くものさ。

その一人がまさに東八郎さんだったんだ。

前にも書いたけれど、東さんはお茶と淹れると「お茶は六十度だ!」といつも言う人で、ぼくは次第に「今日は六十度です」と出すようになった。
そんなふうにぼくらを楽屋で翻弄していても、ちょっとした味の違いに気づくのだから、やっぱりスゴイものだよ。

ただ、ここで注意したいのは、「私が高いお茶を買ってきました」なんて野暮な主張は決してしないこと。
「そうですか?」と知らんぷりしていればいい。
それでも「良い先輩」というのは、誰がそういう気遣いができるかをきちんと見ているものだからね。 

だから、「あれ、今日はお茶が違うな。
おまえか」と言われても、「はい、私です」とは言っちゃいけない。
それをやったらゴマすりになっちゃう。

「自分が得しようとする行為」でしかないゴマすりでは、相手に気持ちは伝わらない。
どんな小さなことでも、その人に「得」を与えられる存在になろうとする気持ちが、「この若いのはなかなか可愛い奴だな」という気持ちをその人に呼び起こすんだ。

実際に東さんは、それからぼくにちょっとだけ優しく振り向いてくれるようになってさ。
ぼくが「次の舞台」へ向かおうとしているとき、何も言わずにサポートしてくれていたと今でも感じている。


失敗こそが出会いを生む

このちょっとしたエピソードの教訓は、新人だって全ての先輩に付いていくことはできない。ってこと。
だから、「この人は信頼できるぞ」という先輩を、しっかり見定める視点を持つことが、後輩として必要な力なんだね。
ぼくの場合は自分がちょっと損をしてみたら、そんな風に自分にとっての良い先輩が見えてきたことがあったんだ。

一方でどんなにいい人に見えても、ぼくがなるべく付いていかないようにしていた先輩、というのもいる。

それは喩えてみるなら、「四角い先輩」だ。

芸能界というのは会社と違って、入っても「説明会」みたいなものが一切ないでしょ。
この世界に説明は余計で、いちばん大切にされるのは「気づく・察する」だと僕は思っている。

でも、なかには「この仕事というものはー」とか「働くということはー」と物事を四角く説明したがる人が、どんな場所にもいるものだ。
ぼくはそういう人にはいつも注意していた。
なぜなら、物事を四角く捉える人は、そこからはみ出そうとする人を箱の中に戻そうとしがちだから。

何かで成功するというのは、社会や世の中の角や隙間から抜け出していくことだ。
そうした行動やアイデアを思い切って試してみるためには、枠からはみ出すことを許してくれる先輩や上司が必要なんだね。

逆にぼくが好きなのは、物事を丸く考える人。
アバウトに「仕事?まあ、徐々に覚えていけばいいんじゃないの」とか「目で覚えた方がいいよ」「お前の頭で考えてみな」と、いろんなことを雑に伝えれくる先輩は優れ者である可能性か高い気がする。


それから最後にもう一つ、怒られても嫌な気持ちにならない先輩、というのを見つけることも大事かな。
若い頃というのは、失敗を重ねながら育っていくものだ。
失敗こそが人との出会いを生み、その「出会い」こそが自分の成長につながる。

失敗を恐れてはいけないというのは、良い人との出会いというものが、その「失敗」から生まれることが多いからだとぼくは思う。
その意味で失敗をして怒られても、一緒ににっこりと笑っていられる人がいたら、その人はきっと最高の先輩なんじゃないかな。


コント55号
なんでそうなるの!




新型コロナウィルスが日本ではある程度終息に向かっていますが、世界はまだ猛威を振るっています。
サーズやマーズは夏になったら自然と終息したが、今回の新型はまだ予断をゆるしません。

紫外線に弱いとされるウィルスですが、これから冬にむかう南半球が心配です。
アフリカも感染者が増えてきています。

新型コロナウィルスの治療薬やワクチンができても世界が昨年のような状態に戻るには何年もかかると思います。

その中で人間は生きていかなくてはなりません。
大事なのは、人間同士が助け合い、信頼できる友や先輩、上司を見つけることです。
そして、最も重要なのは、愛するパートナーを見つけることです。

ほんとうにお互い信頼し、愛する事の出来る伴侶に恵まれたかどうかは、定年後にわかります。
それから ・・・ 60歳からの第二の人生、二人になってからどう生きるかは、あなた次第です。(^ ^)v

2020年6月5日
ホテルマンのシエスタより