ホテルマンのシエスタ
歌舞伎 よもやま話
母上とペングーさんが歌舞伎が大好きなので、二人の話に少しでも入れるよう調べてみました。
なんとなくですが、歌舞伎の世界が多少垣間見えてきました。いつか機会があったら付き合っても・・・いいかも(^^)/
愛之助さんや獅童さんは映画やTVで見たことがあります。
では・・・歌舞伎の世界へ
歌舞伎座
「歌舞伎」を演じるのが男ばかりなのはなぜ?
17世紀から続く「歌舞伎」は今では古典芸能の花形ですが、「女形」といわれる役者の身のこなしもしなやかで、本当の女性以上に女性的に見えることすらあります。
しかし、「歌舞伎」はもともと女性も演じていた芸能だったのです。
「歌舞伎」は、「出雲のお国」という女性が京都で「ややこ踊り」という小唄踊りを演じたことがルーツといわれています。
「歌舞伎」を演じるのが男ばかりなのはなぜ?
それ以後、遊里で遊女が踊る「遊女歌舞伎」へと移り変わりますが、風紀を乱すという理由から女性の役者が禁止されました。
そのため、「歌舞伎」は男性中心の芸能に変容したのです。
江戸時代に「女形」が花形役者だったのはなぜ?
江戸時代には、「歌舞伎」の花形役者といえば男子が演じる「女形」になりました。
そんな彼らの艶やかな立ち振る舞いに胸をときめかせていたのも男性だったのです。
「役者評判記」という書物にも美貌の美少年について詳しく論じられていますが、彼らは「歌舞伎」を演じるだけではなく、「床入り」といってお客さんとねんごろになることも仕事のうちになっていました。
江戸時代には、衆道といって、美少年と年長の男が交歓する遊びが流行ったことがあり、若い歌舞伎役者、特に「女形」役者は大人気だったのです。
衆道については、井原西鶴の「男色大鑑」にも紹介されており、美少年と合うために金も生命も惜しまないという男が続出していたと説明しています。
なぜ「歌舞伎」は男のみで演じることになっているの? 「歌舞伎役者」と「屋号」の関係は?
「歌舞伎」は日本の伝統芸能の一つですが、よくわからない点もあります。
たとえば、「なぜ歌舞伎は男のみで演じることになっているのか?」 、
「歌舞伎役者と屋号の関係は?」、
「歌舞伎役者は世襲なのか?」などです。
以下に、これらの疑問について解き明かしていきましょう。
なぜ「歌舞伎」は男のみで演じることになっているの?
もともと「歌舞伎」は、16世紀末の安土桃山時代に出雲阿国(いずものおくに)という女性が始めたものです。
創始者が女性なのに、なぜ今は女性の役者が登場しないのでしょうか?
当時、出雲阿国が歌舞伎踊りで評判を集めると、阿国をまねた遊女たちが「女歌舞伎」を始めて人気を集めました。
興行のあと、彼女たちは宴席に呼ばれて本業をこなしたというわけです。
しかし、これは「風俗を乱す」という理由で、彼女たちが行った「女歌舞伎」や「女浄瑠璃」など、女性が演じる興行はすべて禁止されたのです。
そこで、女性がだめならばと、今度は成人前の美少年たちが演じる「若衆歌舞伎」ができましたが、それも男色のターゲットになるということで禁止されました。
その結果、成人男性の役者が演じる「野郎歌舞伎」の時代となり、現在の「歌舞伎」の基本の形になったのです。
とはいっても、現在の「歌舞伎」には子供の役者も登場しますが。
「歌舞伎役者」と「屋号」の関係は?
「歌舞伎」の舞台では、役者に向かってよく「成田屋!」、「音羽屋!」などの「屋号」で声をかけますが、その起源は何なのでしょうか?
それは江戸時代までさかのぼります。
当時は、「歌舞伎役者」は人気があっても身分は低いとされていました。
しかし、幕府で「役者は良民」と判断されたことから、それまで劇場付近の裏通りに固まって住んでいた役者たちは、堂々と表通りに住むようになったのです。
ところが、当時の決まりでは表通りに住めるのは商家だけだったのです。
そこで、役者たちは商家と装うために今でいう化粧品屋や薬屋などを開いたため、いつの間にか役者同士がその商家の屋号で呼び合うようになったのです。
つまり、「役者屋号」というのは、もともとは商家という建前を得るための手段として生まれたものなのです。
ここで、現代でも使われている「歌舞伎役者屋号」の例を紹介しましょう。
舞妓歌舞伎役者や芸妓、舞妓はなぜ顔を白く塗るの?
歌舞伎役者だけではなく、ご存知のように芸妓や舞妓も顔を白く塗っています。
それらはなぜなのでしょうか?
西洋の「白塗り」?
過激なロック系音楽のヘビーメタル分野で一世を風靡した「KISS」というバンドをご存知でしょうか?
KISS
顔を「白塗り」して、その上に異様な化粧を施したルックスは非常にインパクトのあるものでした。
この手の白と黒を基調にした化粧は「コープスペイント」と呼ばれ、悪魔などを想起させる演出です。
日本でも、テレビでよく見かける「デーモン閣下」も「白塗り」ですね。
デーモン閣下
舞妓歌舞伎役者や芸妓、舞妓舞妓歌舞伎役者や芸妓、舞妓の化粧です。
歌舞伎役者は、顔を白く塗り、その上に役柄に応じた模様を描いていきます。
そして、顔の模様で、善玉か悪玉か、色男かどうかなどがわかるようになっています。
この化粧を「隈取(くまどり)」と呼びます。
始めたのは、初代市川團十郎だといわれています。
では、芸妓、舞妓さんも、不自然なほど顔を「白塗り」しているのなぜ?
「白塗り」の例日本には、それよりもはるか以前から「白塗り」の派手な化粧がありました。
「白塗り」とした理由...その理由は、当時の照明と関係があるといわれています。
江戸時代には、もちろん電気はなかったため、明かりはろうそくだけでした。
しかし、ろうそくが発する光量は決して強くはありません。
そこで、暗い中でも顔がきれいに映え、白く見えるように、そして表情の陰影がしっかり伝わるように、「白塗り」をしたというのです。
芸妓と宴を楽しむのはなかなか乙なことだったでしょう。
「歌舞伎」が上演されない町なのに、「歌舞伎町」なのはなぜ?
「歌舞伎」を見られないのに「歌舞伎町」?
ところが、東京には「歌舞伎」を見られないのに「歌舞伎町」という地域があります。
そう東洋一の歓楽街として世界にも知られている新宿「歌舞伎町」です。
キャバクラやホストクラブ、風俗店、パチンコ屋などが軒を連ねる光景は、「歌舞伎」の持つあやしい世界に通じるものがないわけではないでしょう。
しかし、「歌舞伎町」に足を運んでも「歌舞伎」は見られません。
江戸時代にさかのぼっても、前述の通り、この一帯に「歌舞伎」が見られる劇場はありませんでした。
では、なぜこの地域に「歌舞伎町」という名前が付けられたのでしょうか
この一帯は、1945年の東京大空襲で焼け野原となりました。
しかし、戦後復興計画の中で、この地域に「歌舞伎」を上演するための劇場建設が予定されていたのです。
それが、「歌舞伎町」の名前の由来なのです。
結局、計画は頓挫しましたが、「歌舞伎」の劇場が建設される町という意味の「歌舞伎町」という地名だけが残り、現在まで使われているのです。
「歌舞伎」の劇場の代わりに作られたのが、1956年に建設された「新宿コマ劇場」です。
新宿 コマ劇場
この劇場では、ミュージカルなども上演されましたが、なんといってもここは「演歌の殿堂」なのです。
北島三郎、氷川きよしなど演歌歌手の公演が多く開催されましたが、2008年に閉館し、2011年から解体工事が始まりました。
2015年4月には、東宝の複合インテリジェントビル「新宿東宝ビル」が完成しました。
現在では、都内最大級のシネマコンプレックス「TOHOシネマズ新宿」と、東宝映画「ゴジラ」のオブジェが新しい「歌舞伎町」の顔となっています。
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