FM東京の深夜番組「ジェットストリーム」は1967年7月、FM東海の試験放送で始まった。
イージーリスニング・ミュージックの合間に「パイロット」(DJ)のナレーションが入る。
その役は、70年にFM東京の本放送になる以前から94年12月まで声優の城達也がつとめた。
日本航空提供のプログラムは「ミスター・ロンリー」で始まる。
そこにかぶるナレーションはこんなふうだった。
「遠い地平線が消えて、深ぶかとした夜の闇に心を休めるとき、はるか雲海の上を音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙のいとなみを告げています」
当時、地方ではFM放送はまだ聞けなかった。聞いたのは70年以後である。
ナレーションはつづく。
「満天の星の光をいただく果てしない光の海を、ゆたかに流れゆく風に心をひらけば、きらめく星座の物語も聞こえてくる夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。
光りと影の境に消えていった遙かな地平線も瞼に浮かんでまいります」
書いたのは堀内茂男。
しかし彼は外国へ行ったことがなかった。私は飛行機に乗ったことさえなかった。
本放送開始の70年3月31日、赤軍派の青年たちが日本航空の国内線機「よど」号をハイジャックして平壌に「亡命」した。
実は、その一週間前が決行日だった。失敗したのはボーディング・パスを知らず、チケットさえ持っていれば大丈夫とチェックインせず、羽田空港で搭乗できなかったメンバーがいたからである。
福岡まで行けた一部は反抗を中止、九州大学でカンパを募ってほうほうの態で帰京した。
飛行機の乗り方にしろ北朝鮮の実情調査にしろ、彼らはまったく不用意だった。
キューバに行きたかったが、遠すぎるからと北朝鮮にした「よど」号犯たちは、悪人ではなかった。
むしろ善人だった。しかし、そのうかつさで一生を棒に振った。
「ジェットストリーム」では音楽の合間に旅心を誘う「小さな物語」を挿入した。
そのスクリプトも堀内茂男が書き、城達也が読んだ。
堀内のセンスで再現を試みると、こんなふうになる。
「・・・・・パリ北駅近く、ギヨーム・アポリネール通りに面したホテル・サン・スーシ。その三階の角部屋に長逗留しているわけありの娘。窓辺の紗のカーテン越しに見えるその子の影が、なぜだか宵の口から動かない」
「・・・・・南フランス、アルルの街を夕立が通りすぎ、真夏の午後のほてりをさます。カフェテラスの隅の柱に寄りかかった中年ギャルソンがひとり、板張りの床に咲く雨の花をじっと眺めている」
夜間飛行のイメージにしろ、ヨーロッパの街区のスケッチにしろ、すべて想像だけで書いた。
それを外国を知らないリスナーが聞いた。
70年代になって欧州貧乏旅行に出掛けた青年たちの何割かは、「ジェットストリーム」の幻を見に行ったのではないかと私は思っている。
60年代流行歌のモダニズム作詞家・岩谷時子も、ヨーロッパへ行ったことがなかった。
国旅行が嫌いで、95歳の現在までハワイに一度行ったきりだという。
現地を体験していないからこそリアル、というパラドクスがここにある。
しかし、それが「文学」の力だともいえる。
「ジェットストリーム」のDJとして出演7387回におよんだ城達也は、95年2月25日、63歳で亡くなった。
阪神大震災とオウム地下鉄サリン事件で日本社会が変質する前夜であった。
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■ ジェットストリーム (城達也ラストフライト) → クリック
2012.1 関川 夏央のエッセイ 「ジェット ストリームの思い出」 から
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