ホテルマンのシエスタ
新たな認知症ケア ”ユマニチュード” を紹介します。 認知症とは、いろいろな原因で脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりしたためにさまざまな障害が起こり、生活するうえで支障が出ている状態のことを指します。 65歳以上の高齢者のうち認知症を発症している人は、2012年時点で約462万人。 また、4人に1人が認知症とその“予備軍”となる計算だそうです。 厚労省統計の4年後の現在では相当増えている計算になります。 もし、身近に起こった時にどう対応したらいいのでしょう。 週刊文春に、新たな認知症ケア技術として注目を集めている”ユマニチュード”の記事が載っていましたので、それに多少画像等のアレンジを加えページを作ってみました。 また、下の方に他のWEBからの関連記事も追加しておきました。 |
2016.8.27 ホテルマンのシエスタより |
新しい認知症ケア ユマチュードとは Humanitude |
【週刊文春】 阿川佐和子の ”この人に会いたい” から 新しい、新たな認知症ケア技術として注目を集めている“ユマニチュード”。 寝たきりで問いかけへの返事もなかった患者の驚きの変化とは。 創始者のジネストさんと、日本での普及に奔走する本田先生にお話しを伺いました。 ■イヴ・ジネストさん。 ユマニチュード(Humanitude)創始者 ■本田美和子さん。 医師 阿川 お二人のご著書『ユマニチュード入門』(医学書院)や“ユマニチュード”が特集されているテレビ番組をいくつか拝見して、たいへん興味をもちまして。 ジネスト: メルシー・ボークー。 阿川 ユマニチュードという、新しい認知症ケアの方法をジネストさんが考案されて、本田先生が日本でそれを広める活動を行ってらっしゃるとか。 本田 ええ。以前から認知症患者の方とどう接していくかは日本の医療現場での大きな課題の一つで、私自身も医師としてずっと悩んでいました。 阿川 課題といいますと? 本田 例えば看護師さん、介護士さんが直面している問題があります。 優しい気持ちでケアをしているのに、頑として受け入れてもらえなかったり、時としてまるで戦いのようになってしまうことが珍しくありません。 しかもケアをする人が、うまく行かない理由は自分の資質や優しさが足りないからではないかと自分を責めてしまっています。 でも問題はその人の資質ではなく、技術なんだと提唱するこの技法で、明らかに患者さんがケアを受け入れてくれるようになることから、看護師さんたちもよりやりがいを感じられるようになったという声をよく聞きます。 阿川 どうしてそんな劇的な変化が!? だって認知症の方の中には、かなり暴力的になっちゃう人もいるでしょう? ジネスト アガワさん、それは違います。 少なくとも私は、認知症をお持ちの暴力的な方に会ったことがありません。 かつて私を引っかいたり噛んだ人はいます。 でもそれは彼らの身になってみれば、理解できない不安な出来事に対処する正しい行動で、ご自分の身を守ろうとしていたのです。 阿川 へぇ〜。お二人の本によると、ユマニチュードの基本は四つあって、できるだけ遠くから患者さんの目を見る。 ポジティブなことを語りかける。 手のひら全体を使って優しく飛行機が着陸するように触ってあげる。 そして・・・・・。 ジネスト 出来るかぎり立ってもらうことですね。 阿川 そうそう。 でも今まで寝たきりだった人をどうやって立たせることができるんですか? 実際にテレビで、寝たきりで目もうつろだった人が立てるようになり、やがて少しずつ歩けるようになった姿を見てホント驚きました。魔法みたい!って。 本田 私も初めてジネスト先生がユマニチュードのケアをした時の患者さんの反応を見て本当に驚きました。 でも、ジネスト先生に教わるうちにわかったのは、これは技術であって学びたいという人が増えて、現在私が勤務する国立病院機構東京医療センターで定期的に研修を開催しています。 ジネスト 日本での教育システムができ始めたのはうれしいことです。 「動かないでください」という言葉に衝撃を受けた。」 本田 ユマニチュードの基本は、さっき阿川さんがおっしゃった四つなんですが、じゃあ具体的に壁側に顔を向けた患者さんの視線をつかみに行くためにはどうすればよいか、となると、ベッドを動かしてその隙間に入ってでもその人の視野に入り、「私の目を見てください」とお願いする。 触れる際も、最初は顔、手、陰部の近くなどの敏感な部分を避けて手のひら全体を使うとか、具体的な技術が何百個もあるんです。 それらの一部を講義とワークショップで学んでいただいています。 阿川 何百も!そもそもジネストさんがユマニチュードのメソッドを作ったきっかけは何だったんですか? ジネスト 私は元々、フランスの国立の高校で体育学を教えていましたが、三十五年ほど前に病院で仕事をしたいと思って、教職を辞めたんです。 阿川 どうして体育の先生から医療の世界へ? ジネスト:最初は体育学の知識を活かして、看護師さんたちが腰を痛めずに患者さんを移動させるためのお手伝いをしたいと思っていました。 ただ、私自身病院で働くまでは、入院している患者さんがどのような状態かはもちろん、ベッドで体をきれいにする、いわゆる保清の概念なども全く知らなくて。いざ実際に働いてみると、病院でケアに関わっている人たちの間で一日中飛びかっている「動かないでください、あなたのためですから」という言葉にショックを受けたわけです。 本田 これは日本の医療・介護の現場でも同じなんです。「じっとしていてください。すぐ終わりますから」というやり取りはとてもよく耳にします。 阿川 そこはフランスも日本も変わらないんですね。 ジネスト 私は非常に衝撃を受けました。 体育学の基本は、人は生きている限り動き続ける、ということです。 生きているとは、動くこと。 なのに動いてはいけないなんて、健康を回復するはずの医療の場でそんなことが起きているとは信じられませんでした。 阿川 動いたほうがいいというのは、病気を患ったり、体力的に弱っていたりする人でも必要ってことですか? ジネスト もちろん健康な人は運動をすればいいと思いますが、そうでなくても基本的な生理学の考えとして、カルシウムが骨に吸収されるためには歩かなければならないんです。 阿川 動かないままの状態を続けると、骨からカルシウムを補給するようになるので、骨がどんどん弱くなっていくということ? ジネスト その通り。 骨だけでなく、筋肉だって、八十歳のご老人の場合は三週間動かさないだけで四〇%の力を失うんです。 病院で働くようになっていかに医原性の病気が蔓延しているかに気付きました。 阿川 医原性? 本田 医療が引き起こす問題のことです。 病院側が治療のために、患者さんによかれと思って「動かないでください」と頼んでいるのに、実はそれが逆に患者さんの健康を奪うことに繋がってしまっているということです。 ジネスト:外から来た人間として気付いたのは、医師は数々の専門分野に分かれ、専門以外を考えるのは難しいということ。 たとえば肝臓専門医は肝臓のことに関してはたいへん知識が豊富でしょう。 でもそれ以外のことに関心が薄い人が多い。 本来なら立てるかもしれない患者さんに対して、「転倒するおそれがあるから座ってください」と指示してしまう。 それでは、肝臓はよくても、他の機能が低下してしまう。 だからこそ、今までにない新しいケアの哲学と技法が必要であることに気付き、それを作りあげようと思ったんです。 阿川 立って歩くことの重要性はよくわかりました。 ただ、それ以前にさっきジネストさんもおっしゃってたように、認知症の患者さんとはコミュニケーションをとること自体が難しいんですよね? ジネスト それこそ先ほどアガワさんにご紹介いただいた、見る、話す、触れる、立つという四つの柱を通じて、患者さんの体に直接語りかけることを発見したのです。 たとえば、アガワさんが好きだと感じる人がいるとしましょう。 そうすると瞳を見て、言葉を掛け合い、抱きしめることで相手の親密空間に入りますよね? 阿川 ま、愛する相手には、ねえ(笑)。 ジネスト いえいえ、今お話ししながらもアガワさんは私の目を見つめてくださっているじゃないですか(笑)。 身体に語りかけるという意味において、国籍などは関係なくなるんです。 大事な人に触れるときはゆっくり優しくするでしょう?その逆をやってしまうと、相手に対立するメッセージを与えることになってしまう。 阿川 ああ、暴れるのを押さえようと思って腕をつかんだりすることは、相手にとって敵だという意味になっちゃうと? ジネスト その通り。 反対に、技術を駆使して、「私はあなたが好きです」という気持ちを相手の身体に伝えると、人間らしさが戻ってくる。“ユマニチュード”という言葉自体が“人間らしくある”という意味なんです。 阿川 へぇ〜。どうしてその方法で人間らしさが戻ってくるのでしょう? ジネスト:あらゆる記憶がなくなり、自分がどこに住んでいるのか、妻や子供の顔を見ても分からない状態になったとします。 しかし、認知機能が低下していても、感情記憶は働き続けていて、彼らと感情でつながることは可能なんです。 阿川 感情でつながる? ジネスト たとえば、今私が笑顔なのは、アガワさんにいい記事を書いてほしいからかもしれない(笑)。 でも、アルツハイマーの方はそんな打算的なことは考えませんよね。 阿川 そりゃそうですね(笑)。 ジネスト となると、彼らが笑顔になるためには、「今がいい状態なんだ」という思いを持ってもらう。つまり我々が患者さんに好かれる存在になるしかないのです。 記憶がなくなり、人生の中で身につけた文化を失った認知症の人は、世の中で最も純粋な存在であると言えます。それは同時に、我々の愛情を映す鏡でもあるのです。 阿川 記憶は失っても感情はしっかり働いているんだ。 だから、こちらが好かれるようなことをすれば好きになってもらえるし、嫌われることをすれば嫌われてしまうということですか? ジネスト はい。 本田 実際に、ジネスト先生が来日して最初に診た患者さんは寝たきりで、私も「おはようございます」と挨拶はするけれど、返事が返ってくるなんて全然思ってなかったんですね・・・・・。 『「あなたを大事に思っている」ことを伝える技術。』 ジネスト その患者さんはもう何年も誰の視線も直接受けたことがなかった。 でも、視線を向け、優しく言葉をかけ、正しい触れ方をすることで変わったんです。 (パソコンを取り出して)ちょっとこの映像を観てくださいね。 我々が背中を洗おうとしているところです。 阿川 (画面を観て)えっ、「腕を上げてください」という言葉に反応して、自分から体を動かしている! ジネスト 誰も想像していなかった出来事でした(笑)。 阿川 この方は今までに自発的に動くことはなかったんですか? 本田 というより、私たちはそのお願いすらしなかったんです。 話しかけても返事がないので話が理解できているとも思っていなかった・・・・・。 でもそれは私たちの方法が間違っていたからなんだということがよくわかりました。 ジネスト これまで行われてきたケアでは、医療・介護関係者は自分の職務に専念するあまり、自分が相手を大切に思っていることを伝える方法には無頓着だったと思うのです。 阿川 ほおー。 ジネスト 認知症患者の方は周囲からのアイコンタクトがほとんどないことがわかりました。 ケアをする人は見ているつもりでも、見ているところは口の中だったり、点滴の部分だったりと業務のための視線で、きちんと瞳と瞳を合わせてはいなかった。 それは「あなたは存在しない」というメッセージを発することと同じなんです。 阿川 どうして見なくなっちゃうんですかね? ジネスト 無意識のうちに人間は自分がなりたくない姿は見ないようにしているんです。 たとえばアガワさん、ホームレスの方をじっと見つめたことはありますか? 阿川 ないかもしれません・・・・・。 ジネスト 同じことです。しかも、見ないだけではなく話もしない。 認知症患者は一日に平均百二十秒しか話しかけられていないというデータもあります。 阿川 そんなに短いんですか!? 本田 ケアの様子を撮影した映像を京都大学と静岡大学の情報工学の専門家に観ていただいて、アイコンタクトがどのくらいあるか、何をどのくらい話しているのか、仕事のためではなくコミュニケーションとして触れているかなどを分析してもらった結果です。 ジネスト 相手が私を好きになってくれるためには、相手に自分が大切にされていると感じてもらう必要があるのです。これまでも認知症患者さんのご家族にユマニチュードの技術を教えてきましたが、するといつも「あ、私その逆をやっていました」と言われます。 阿川 逆というのは何を? ジネスト たとえば、認知症のお母さんを娘さんが介護している家庭では、娘さんは良かれと思って「これしちゃだめだよ、あれ触っちゃだめよ」という風に言ってたんですね。 またある時は「今何時?」と何度も続けて聞かれたので「さっき言ったじゃないの」と答えてしまった。 阿川 うちの母も高齢なので、「鍵はどこ?」と言うから、「バッグに入れたでしょ」と返すと、二分後にまた「鍵は?」。さらに数分後にまた同じやり取りを・・・・・という感じです。 ジネスト なるほど。ところがお母さんからすると、毎回初めてお聞きになっているんですよ。 「なんで教えてくれないのよ」と思ってるわけです。 そんな時にどうすればいいのかというテクニックも無数に存在します。 阿川 エー、知りた〜い! ただそのテクニックを学んだとしても、使う際に相手との相性とかはないんですか? 顔の形や声のトーンとか? 本田 相性はあまりないように思います。 ユマニチュードは「あなたを大事に思っている」ことを相手にわかる形で伝えるための技術で、正しい方法を学べば誰でもできるようになりますよ。 阿川 ほおー。 ちなみに、本田先生はいつユマニチュードをお知りになったんですか? 本田 約八年前です。 航空会社のカード会員向けの雑誌に、フランスで面白い介護方法があるという記事が載っていたんです。 「こんな技法があるんだ、面白い」と思いながらも、当時私は主にHIVの診療をしていて、そのままになっていました。 ただ、気にはなったのでとりあえず切り抜いて自宅の冷蔵庫に貼ってたんです。 ジネスト それから三年間も私は本田先生の冷蔵庫にいたわけです(笑)。 阿川:アハハ。 本田 冷蔵庫に貼ってから約三年後、今私が勤務している東京医療センターから高齢者医療について一緒に働きませんかとお誘いをいただきました。 HIVについての仕事も一段落したので、別のことをやってみようと。 ちょうどこのころ「このままじゃ、もう医療がもたない」と言われまして。 阿川 もたない、というのは? 本田 私が研修医だった二十数年前は病院に来る人は自分が病気で、目の前にいる人が医者や看護師だとわかっていました。 だからこの検査や治療が必要ですよと理屈で説明すると、わかりました、と受け入れてくださっていました。 それが超高齢社会となって・・・・・。 阿川 自分が何をしに病院に来たのか分からない人が出てきた? 本田 はい。医学はものすごく進歩して治療法はあるのに、それを患者さんに受け取ってもらえない。 今後の社会に必要なのは、このような方々に医療をお届けする方法を見つけることだと思い職場を変えることにしました。 その直前に、ジネスト先生にユマニチュードを見学させてもらおうと連絡をとってフランスに行ったんです。 といっても、二週間の休暇中二日間くらい見学させてもらおうかなというつもりだったんですけど・・・・・。 ジネスト みっちり二週間のプログラムを組んで本田先生をお待ちしておりました(笑)。 本田 でも、直接ユマニチュードを見ると、これは日本でも絶対に役に立つし、うまくいくと思いました。 帰国して同僚の看護師たちに話してみると、みんなすごく習いたいと。 阿川 それだけ、認知症患者の方のケアをどうするのかということに皆さんが悩んでいたわけですか? 本田 ケアの仕事をしている人は基本的にみんな優しいんです。 それなのに患者さんから激しく拒絶される毎日が続くと、この仕事は自分に向いていないんじゃないかと自分を責めてしまいがちです。 「ユマニチュードは社会を作るプロジェクトでもある。」 阿川 疲れも倍加しますよね。 ジネスト 結果、離職してしまう看護師、介護士が多くいたわけです。 本田 それでジネスト先生に、日本でユマニチュードを教えていただけないかとお願いし、日本での教育が始まりました。本当に幸運だったと思います。 阿川 実際に今は何人くらいがそのトレーニングを経験しているんですか? 本田 去年からほぼ毎月、二日間の入門コースを東京医療センターで行っていますが、一回当たり日本全国から百人以上来ていただいているので、累計で千五百人くらいです。 阿川 それは主に看護師の方が受講されるんですか? 本田 看護師、介護士、変わったところでは救急隊員の方とか・・・・・。 ジネスト 薬剤師の方もいますね。 本田 旭川医科大学や岡山大学では医学部の正式な教育カリキュラムとしても採用されました。 阿川 入門書を拝読するかぎりでも、これまでよりは時間をかけて患者さんと接することになると思うんですけど、かえって手間がかかるってことはないんですか? 本田 おっしゃる通り、最初はちょっと手間がかかるように見えるんですけど、今まで注射をする際、嫌がる方を四人がかりで無理矢理押さえていたところを、一人で穏やかに出来るようになるので、結果的には負担は減ります。 阿川 ほおー。あと、病院に入院していれば看護師さんがたくさんいますけど、自宅介護の場合、勝手にどこかいっちゃうかもしれない患者を二十四時間、一人では見られないんですよね? ジネスト もちろん見られません。 つまり、一人で見てはいけないんです。 ユマニチュードは具体的な技術であると同時に、社会をつくるプロジェクトでもあるのです。 実際に街全体でこの問題に取り組んでいきたいと考えている自治体もあります。 そうなるとタクシー運転手、警察官、色んな方に研修をうけていただくことで、地域社会全体を変えていくことが出来る。 阿川 そんな先まで見据えていらっしゃるんですか! 実はうちの母がここ数年ちょっともの忘れが多くなってきて。 まだ家族のことはちゃんと認識できているんですけど、これから症状が進行していくんだろうなっていう不安があるなか、今はこの時間をなんとか笑って過ごしたいと思っているんです。 母は昔と違ってしまったかもしれないけれど、逆にこんな面白いところがあったのかと発見することも多いので。 本田 すばらしい。そのお考えは正しいと思います。 ジネスト:そうですね。 受け入れるのは大事なことだと思います。 そしてたとえお母さんの記憶が失われても、脳の真ん中にある感情記憶というダイヤモンドの中にはアガワさんがずっといる。 このことを絶対に忘れないでいただきたいです。 阿川 (ハンカチで目を拭いながら)あー、なんかホッとしました。 よくぞユマニチュードというものを作ってくださいました。 ジネスト とんでもありません。 美しい涙までいただきまして、本当にありがとうございます。 一筆御礼 お話を伺ったあと、母と朝、会うなり、私は二メートルほど手前から腰を低くして母と同じ高さの視線に合わせ、「おはよう!」と大きな声で挨拶してみました。 母はちょっとびっくりした顔をしてから、私と同じように腰を落として、「おはよう!」と応えたので、私がまた腰を低くして、「おはよう!」と言うと、「おはよう!」と母がまた腰を落とす。 そのうち二人とも床にお尻がつくほどかがみ込み、大笑い。 ついでに抱きしめてみました。 効果があったかどうかはわかりませんが、でもなんとなく、こんな小さな行動だけでも母を喜ばせることができるなんて、こちらも楽しい気分。 親の介護のことで精神的にも肉体的にもまいっている人は今や溢れんばかりです。 ジネスト先生のみごとな発案と本田先生の気づきのおかげで介護する側もされる側も、どれほど多くの人々の心に希望の光が灯ることでしょう。 このメソッド、全人類が覚えたら、いいのにね。 |
2016.8.27 |
WEB記事より 【講演録】ジネスト氏,ユマニチュードの哲学を語る。知覚・感情・言語による包括的コミュニケーションに基づいたケア技法「ユマニチュード」の創始者であるイヴ・ジネスト(Yves GINESTE)氏が来日し,東京都内で講演会を行った。独自の技法の基盤となる哲学を存分に語った講演会の模様を,ダイジェストでお届けする。 私はもともと,体育学の教師でした。病院で働き始めたのは,腰痛予防教育がきっかけです。それまでは病院でどのようなケアが行われているかをまったく知らなかったので,さまざまな患者さんを担当させてもらいました。その中には,体重1500グラムの未熟児,バイク事故で昏睡状態となった青年,関節拘縮が進行した高齢者も含まれます。看護師さんや患者さんご自身が,私にこの仕事を教えてくれたのです。 これらの経験を通して,150を超える技術を編み出しました。同時に,技術の全てを統合する哲学も必要であると考えました。そうやって,ユマニチュードを確立していったのです。 「人間とは何か」をE.T.に説明するとしたらケアをする人とは何なのでしょうか? そもそも,人間とはどういう存在なのでしょうか? この問いを考えるに当たって,架空の話をしますね。E.T.(地球外生命体)から“インター・ギャラクシー Eメール”が届いたと想像してみてください。メールには「宇宙船で地球に行くことになったので,人間という生物に会ってみたい」と書かれています。 そこで私たち地球人は,相談を始めました。まずは,人間がどんな生物なのかを事前に説明しなければなりません。人間に会いに来たのに犬と握手されても困りますから(笑)。写真をメールで送付できれば簡単なのですが,インター・ギャラクシー Eメールでは,まだ画像が送れないようです。ですから,言葉で人間を定義しました。「人間は,2本足で立つ動物である。保清と身だしなみを整える習慣があり,美しく着飾っている。動物と異なり,食事は多様な形態を好む。言葉や文章を理解する知能を持っている」。 メールを読んだE.T.が地球にやって来ました。この会場にロケットが着き,カプセルが開きます。あたりを見回し,あなたに視線が止まります。E.T.は人間の定義をもう一度確認しました。「服を着ているな。2本足で歩いているな」。E.T.は手を挙げて挨拶しました。「人間さん,こんにちは!」。別の宇宙船は,行き先を間違えて病院に着いてしまったようです。E.T.が病室を見渡します。「話しているかな? いや,会話がない。2本足で立っているかな? ベッドに寝たままだ。どのように食べているかな? チューブから栄養を摂っている」。このE.T.は人間を見つけることはできません。事前に私たちがつくった定義に合致するものが何ひとつないからです。 ヒツジチュード,ユマニチュードさまざまな機能が低下し他者に依存しなければならない状況になったとしても,最期の日まで尊厳を持って暮らし,その生涯を通じて人間らしい存在であり続ける。つまり,人の“人間(humane)らしさ”を尊重する状況を,私たちはユマニチュード(humanitude)と定義付けました。そしてユマニチュードでは,「あなたのことを大切に思っています」というメッセージを,ケア提供者が対象者に常に発信します。つまり,人と人との「絆」を中核に置いた哲学なのです。 それでは,他者との絆はどうやって結ばれるのでしょうか? まず,人間以外の哺乳類を見てみましょう。哺乳動物の誕生は二度あります。最初は生理学的な誕生。そして第二の誕生は,その種に迎え入れられるための社会的な誕生です。小さな哺乳動物が生まれたとき,母親はその子をなめます。なめることによって,ヒツジのお母さんは赤ちゃんに語りかけます。「おまえはヒツジの仲間の一員だよ」。これが“ヒツジチュード”ですね(笑)。 人間も動物です。生まれたての赤ちゃんは,既にユマニチュードの状態に置かれているでしょうか? ノーです。もちろん生物学的には誕生していますが,「人間の仲間である」という過程はまだ踏んでいません。では,赤ちゃんを人類の一員として認めるために,人間の親はどんなことをするでしょうか? 文化的な違いはありません。私の祖国であるフランスも,皆さんが住む日本もきっと同じことをやるはずです。視界にまっすぐ入り,近くからじっと見つめます。赤ちゃんは大人が何を言っているのかはまだわかりません。それでも,私たちは語りかけます。「なんて可愛いんだろう」。その言葉はポジティブで,愛に満ちていますね。触れるときは包み込むように,両手で抱きかかえます。そして体を洗います。やさしく,ゆっくりと――。 愛と優しさが通底にある「見る」「話す」「触れる」ことによって絆が結ばれる。これが人間における「第二の誕生」の瞬間です。さらに,立つことによって人は自分が望む空間へ移動する自由と,自分で関係を結びたい人のもとへ移動する選択権を獲得することができます。「立つこと」によって人は,自分が他者と同じ存在であることを確認し,人としての尊厳を確立するのです。「見る」「話す」「触れる」の3つに4つ目の要素「立つ」ことが加わったとき,「第二の誕生」は完成します。この4つの柱がユマニチュードの基本です。 「やさしさ」を伝える技術は文化を超えてでは,絆を断ち切るにはどうしたらいいでしょうか? とても簡単ですね。先ほどと真逆のことをすればいいのです。近くではなく遠くから,水平ではなく上や斜めから,ちらっと見ます。ポジティブな言葉は要りません。大きな声で叱ります。なでたりもしません。先ほど包み込むように広げていた手は,固い拳に変わるでしょう――。こうして人の“人間らしさ”を尊重する状況が失われてしまいます。 絆を結ぶのに,心だけでは不十分です。温かい心なら,誰もが持っている。とりわけ日本の看護師さんは心が温かくて,優しい人ばかりですね。でもここに落とし穴があります。私たちが行った観察研究の結果から,認知症になると声を掛けてもらえないし,見てもらえなくなることが明らかになりました。ケア提供者は,「見る」「話す」「触れる」「立つ」ことの援助を,技術として学ばなければなりません。 「でもジネストさん,ユマニチュードは日本では通じません」。最初はそう否定されました。「なぜですか。日本人は人間じゃないんですか?」「いや,そうじゃなくて。日本人がお辞儀をするのは視線をそらすためです。そして,ボディータッチもあまりしません。フランス人のようにハグする習慣は日本にはないのです」。 確かに,その国特有の文化はあります。でもそれは,後天的に学ぶものですよね。認知症が進むと後天的に学んだ要素は徐々に失われていきます。どの国の人でも,後天的に身につけた文化的な背景を超え,人間としての本能的な存在に戻っていきます。その結果,日本でも高齢の認知症患者さんが,私にキスをしてくれます。男性でさえも,私を抱きしめてくれます。絆を結ぶ上で大切なことを,私は患者さんからたくさん教わりました。人間は愛し,愛されるために,他者にやさしくし,自分もやさしくされるために生まれてくるのです。ユマニチュードは,文化を超えて「やさしさ」を伝える技術なのです。 さあ,宇宙船が間違ってたどり着いた先ほどの病室に行き,その患者さんも人間であることを,私たちのケアによって証明してみせましょう。E.T.だって感動するはずですよ。「人間って素晴らしい!」。 |