ホテルマンのシエスタより






日本人と発明
Necessity is the mother of invention



日本人は発明が好き

日本は特許大国です。98年に日本国に出願された特許出願件数は、約40万件です。その内の約1割が外国人によるもの。
一方、米国においては、特許出願件数約26万件で、その内の約5割が外国人によるものです。
米国の人口数は約2倍ですから、単純計算で、米国人に比して日本人は5倍も発明が好きだということになります。
『技術立国・日本』を支えているのは、多くの日本人発明家なのです。


            
発明と開発(半導体)
【今、また注目されている半導体とは・・・】

導体=金属など必ず電気を通すもの 
絶縁体=石、セラミック、プラスチックなど電気を通さないもの 
半導体=シリコンやゲルマニュームなど電気を通したり通さなかったりするもの

半導体は、アメリカのベル研究所が1948年、トランジスタを発明した。
その発明を元に、東京通信工業(SONY)がゲルマニュウムという半導体を使ってトランジスタラジオを開発。

このころ、日本の電卓会社「ビジコン」が、電卓用にLSI(集積回路)の開発を、カリフォルニアの創立1年のメモリ専門会社、「インテル」に依頼する。
その日本からの開発依頼に沿って開発されたLSI(マイクロプロセッサ)がPCに使われるようになる。
現在の巨大企業「インテル」の躍進の足がかりを作ったのは、日本のメーカーだったのです。

今盛んに使われている半導体のフラッシュメモリ東芝が開発したものです。このおかげで、東芝は80年代後半には、43億1000万ドルを稼いでいます。しかし、せっかくのパテントも、当時の上層部がこの技術の将来性を理解していなかったのか、韓国のサムスン電子にライセンスを与えてしまいます。そして、サムスン電子がフラッシュメモリで世界シェア42%を獲得する。(東芝は27.4%に落ち込む) しかし、東芝は基礎研究に優れており、将来は[3D-TV]はもちろん、[裸眼3D-TV]も夢ではないようです。

21世紀主流の電池、リチュウムイオン電池を開発し、その特許を持っているのは、旭化成。携帯電話、ノートパソコンには不可欠で、2009年現在、市場は世界規模で年間1兆円以上。今後、電気自動車、太陽光発電等の普及に伴い需要がさらに伸びると言われている。(材料のレアアース確保が課題に)

液晶ディスプレーはシャープが大型工場を、プラズマは昨年パナソニックが世界シェア第1位、有機ELはSONYが・・・
2007.6.1


◎日本人ノーベル賞関連ページは1番下にあります。




                    
日本人の発明
                                   う!うまい 

インスタントラーメン 世界初のインスタントラーメンの名前は日清食品のチキンラーメンでした。今も売っています。
特に、日本のインスタントラーメンは、アジア諸国では絶大な人気です。
※中国人コックが、焼きそばのUFOを食べて、「なんだ~これは」と感動していました。どうもお祝いの時食べる、イーフー麺に似ているようです。

リチュームイオン電池 百年に一つと言われるリチュームイオン電池。
開発者は、京都大学院出身で旭化成の吉野彰氏
現在、携帯電話、ノートパソコンには不可欠で、その市場は世界規模で年間1兆円以上。
今後、電気自動車、太陽光発電など普及に伴い、更に需要が伸びるといわれている。


青色発光ダイオード

LED)
<発光ダイオード>光の三原色(赤/緑/青)の内、赤とくから開発されていたが、青色しく、世界中で研究されていたがなかなか出きなかった。この技術はエジソンの発明した電球にも匹敵するとも言われている。

実用的な青色LEDの発明者は赤﨑勇氏(工学博士。現 名城大学理工学部教授だが、中村修二氏は、よりも早く大量生産に向いた方法を開発した点が功績といわれている。
中村修二氏が青色LEDの実用化に成功したことで、赤﨑勇氏のノーベル賞受賞が囁かれている。二人なら赤﨑勇と中村修二、一人なら赤﨑勇氏が受賞すると見られる。

※成功の扉は → 赤崎氏の研究は長い間足踏み状態だったが、助手の天野氏が、電気炉の調子が悪いので実験の方法をちょっと変えてみたら偶然成功した。

中村氏は現在、カリフォルニア大サンタバーバラ校の教授をしているが、発明当時在籍していた日亜化学工業に対し、発明の対価の一部として200億円の支払いを求めたが、裁判の結果、8億5千万円で和解。

その後、東北大学金属材料研究所教授の川崎雅司(薄膜電子材料化学)らの研究チームは価格が安い酸化亜鉛を用いた青色発光ダイオードの開発に成功した。(青色LEDの再発明といわれている)

※私が20代後半の頃バックパックを背負って
ヨーロッパを放浪していた時、ノルウェーのオスロで会った日本人の学生が、今、うちの教授が青色の発光ダイオードを研究しているんだ。もし成功したらスゴイぞ!電球やテレビなど光の世界が根本的に変わるぞ!と目を輝かせて熱く説明してくれたのを思い出しました。
フラッシュメモリ フラッシュメモリはデジタルカメラなどの記録メディアに使用され、東芝が特許として出願登録している。
発明者は元社員の舛岡富士雄氏(東北大学教授)。


光ファイバー 今話題の、光通信でお馴染みの「光ファイバー」を初めて発明したのは、日本の研究者である東北大学の西澤潤一教授
特許庁に特許を申請したが、当時の担当者が理解できず却下。その間に競合技術を開発していたアメリカのコーニング社が、同国の特許庁に国際特許を申請、取得されてしまった。
今は、日本人の発明なのにアメリカに特許料を払っています。


ネオジム磁石 紀元前3000年には人は天然の磁石(磁鉄鉱)を手にしていた。鉄を動かす神秘な石としてあがめられていた。時が流れ、1600年にイギリスのギルバート医師が磁石を科学的にとらえることに成功。その後、磁石と磁力の研究が世界中で始まる。磁石を利用して電気が作られ、その電気を利用し電気製品が開発され、それら全てに磁石が使われている。
現在、最強の磁力を持つ永久磁石は、住友特殊金属の佐川真人が開発した「ネオジム磁石」。これは、フェライト磁石の100倍以上の磁力を持もつ。この飛躍的に向上した超強力磁石のおかげで、モーターの小型化が実現。携帯電話始め全ての電気製品の小型化ができたのです。

※世界最強の磁力を生み出す電磁石は、永久磁石と違い、コイルの形状とそれに流す電圧によって磁力が変わり、電気を切ると磁力は0になります。
また、なぜ地球が磁力をもっているのかはいまだ明らかになっていません。


レトルトカレー れて3分間温めるだけでカレーのできあがり。
世界初のレトルト食品は大塚食品のボンカレーでした。
今から40年前の話です。

インスタントコーヒー インスタントコーヒーは、アメリカにんでいた日本人科学者加藤博士というが、1899年発明したとされている。
しかし、1903年にアメリカの発明家ジョージ・コンスタント・ルイス・ワシントンが特許を申請。取得している。
ざんねん・・・
缶コーヒー コカコーラ日本法人で開発され、アメリカ人役員にプレゼンしたら不評だった。が発売したら大当たり。
これは「冷たいコーヒー牛乳」文化があったから受け入れられたらしい。

胃カメラ 病院で、にできた病気診断する胃カメラ。このカメラを発明したのは、オリンパス光学工業の杉浦睦夫。おかげで、体を切らずに中を調べることが出来るようになった。
今は世界中の病院で使われている。
※オリンパスは、発明者の宇治、杉浦、深海の連名で、特許を申請。日本、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスで特許を取得し、その特許によって、オリンパスは内視鏡のおよそ八割のシェアを持つことになる。
ヘッドカバー ゴルフのヘッドカバーを最初に発明したのは、日商岩井の創立者である高橋誠一氏。
戦前、倫敦に駐在中、名門アディントンクラブのメンバーになった時。お気に入りのクラブを傷つけないよう靴下を被せることを考えた。しかし、靴下ではクラブがかわいそうと知り合いの女性に黄色の毛糸でヘッドカバーを編んでもらう。それを被せてゴルフクラブに通っていたら評判になり、世界中のゴルフクラブで流行していった。
1916年(大正時代)のことだった。
養殖真珠 は天然のものしかなかったが、1893御木本幸吉さんが、世界でめて真円真珠を人工的に養殖することに成功した。「ミキモト」ブランドで世界中に輸出されている。
それまでは、貴族や金持ちしか持てなかったが、一般の人にも手にはいるようになったのです。

VTR 家庭用ビデオテープレコーダーはSONYが世界で初めて制作したものです。
当時、VTRといえば放送局用のしかなく価格も2千万円もしました。

鉛筆 鉛筆の歴史は古く、伊達政宗も使っていたとされています。

味の素 東京大学理化学研究所の池田博士が、昆布から出るうま味成分、グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法を発見。特許を取る。
これを味の素とネーミングし、味の素本舗が発売した。今では世界中に輸出している。

オセロ 上司の碁につきあわされるのに辟易した部下が、もっと短時間で終わるゲームを!てことで、オセロが生まれたそうです。

回転寿司 元禄ずしの社長が発案者。

ハンダ ハンダで金属を結合するもの。半田さんの発明。
これがなければ世界のエレクトニクスはなかったでしょう。


フィンスタビライザー 客船やフェリーで使われている横揺れ軽減装置のフィンスタビライザー。この発明は三菱造船(現三菱重工業)の元良信太郎博士による造船技術上の傑作だ。
この特許を取った時は、まだ制御するコンピュータもなく、将来重要となる予測がつかず残念ながらイギリスに売却されてしまった。
渦巻き蚊取り線香 ユーゴスラビア原産の涸れた除虫菊の回りで、何匹も昆虫が死んでいるのが見つかり、この花に殺虫効果のあることが発見される。
上山英一郎がこれを使い渦巻きに線香をつくる。「香取線香」の誕生です。

八木アンテナ 八木アンテナはせっかく特許申請出されたのに、当時の官僚が理解出来ず却下される。
逆にアメリカはこれを重視。転用して通信やレーダーの性能を向上させ、戦争にも使われた。
日本兵が米軍のゲジゲジのような八木アンテナをみて・・「あれはなんだ?」


トマトケチャップ 1907年「明治40年」の日本。当時、トマトは「赤ナス」と呼ばれ、主に鑑賞用として栽培されていました。その鑑賞用のトマトを上官からご馳走になった蟹江一太郎という人が、あまりのおいしさに感動し、自分でも栽培を始めました。しかし、出来たトマトは酸味が強すぎたので、あれこれ調味料を加え、ついに甘酸っぱいトマトケチャップが完成したというわけです。
ケチャップと名付けたのは、「なんとなく、語感がたのしいから」といいます。 
 アメリカ様へ、JAPANてすごくネ!
コンタクトレンズ メニコン創業者の田中恭一氏が 研究、開発を重ね、今の角膜コンタクトレンズが出来た。
世界中が驚いたそうです。

飛行機 一般にライト兄弟が有名ですが、実はその10年前に世界で最初に飛行機を作ったのは、日本人の二宮忠八
それは、1891年4月21日のこと。そのころは、日本はおろか西洋諸国にも飛行機になど思いもよらぬ時代でした。かれは、模型飛行機を制作。10mの飛行に成功。
そして葉式に尾翼、滑走用の車輪及び搭乗者の座席まで設けた立派な飛行機を完成。
しかし、戦争が始まり実験中止。
その後、ライト兄弟が飛行機を制作。成功する。1903年の事であった。


参考:飛行神社 と ロケット 開発
灯油ポンプ&
フロッピーディスク
灯油缶から石油ストーブの入れ灯油れるポンプ。
これを発明したのは、
発明家ドクター中松。中学生のころに思いついたとのこと。
PCのフロピーディスクの特許も、ドクター中松が持っています。

カラオケ カラオケは今や、海外にもたくさん輸出されている日本代表する文化です。  1971、バンドマンだった井上大佑氏の発明です。
しかし、井上さんは特許を申請しなかった。
特許を取っていたら今頃億万長者で豪華ヨットだったのに・・

因みに最初のカラオケ(8トラック)が出た時、知り合いが、友達が「空のオーケストラ」の機械を作ったので面白いから宴会で使えないかと持ってくる。会議で提案。全員に反対される。たがGMの一言で1台(35万円)買う事に。最初は無料で貸し出しやがてヒットアイテムとなった。私は先見の目があったノダ <`ヘ´>
シャープペンシル 発明したのは、1915早川金属工業です。シャープペンシルが大ヒットし、有名になったので、社名を「シャープ」に変えた
今は、液晶テレビやPC、家電で有名。
因みにシャープペンシルは和製英語。mechanical pencil(米)/propelling pencil(英)

※シャープペンシルの
仕組を開発したのはイギリス人です。
極小モーター開発 FDK株式会社(社長:杉本俊春)は、世界最小ステッパモーターを開発した。
今回開発した「SM3.7-20シリーズ」は、直径わずか3.7mmの超小型ながら、1回転で、20ステップと細かい位置決めが可能なモーターとの事です。

自動織機 トヨタの創業者の豊田佐吉さん
1890
に日本でめての自動織機を完成させた。
息子さんが、その資金を元に自動車会社を設立。
現在の世界のトヨタの誕生です。
乾電池 から120年前時計づくりの技術者だった新潟の屋井先蔵が発明
それまでは、ボルタ式の液体電池があったが実用的ではなかった。
乾電池が発明されてからは、仕様が国際規格で決められ、世界中で使用されるようになった。

冷やし中華&
焼餃子
中国にも冷麺など似た料理はあるが、「冷やし中華」は日本発の日本食。
実際、中華街に中華料理店が約200店あるが、日本風の味付けした冷やし中華はない。

それと、日本人が日頃食べている「焼餃子」も日本だけの料理法。
本場中国で「餃子」とは、水餃子や蒸し餃子、揚げ餃子のことで、焼餃子はない。



普通の人間は脳全体の7%ぐらいしか使っていません。アインシュタイン級の天才でも9%
さあ!あなたのそのスバラシイ脳を休ませておくのはもったいないと思いませんか?
Let a brain wake!


★特許を申請するには・・・・・特許庁へのリンク




日本人でノーベル賞を受賞して人はこんなにいるんですよ。


ノーベル賞とは
ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞のことです。1年に1回行われています。


ノーベルは遺言に、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする。」と残しています。

ノーベル賞には、①物理学賞 ②化学賞 ③生理学・医学賞 ④文学賞 ⑤平和賞 ⑥経済学賞の6部門があります

特に自然科学部門のノーベル物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の3部門における受賞は科学分野における最大級の栄誉であると考えられているそうです。

Wikipedia) ノーベル賞 ➝ クリック

ノーベルの遺言 スウェーデン王立科学アカデミー
(Kungliga Vetenskapsakademien)

 
授賞式


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写真特集(日本人ノーベル賞の軌跡) ➝ クリック



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