ホテルマンのシエスタ


【コロナ対策は宗教か化学か】

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新型コロナウィルスの感染拡大が止まりません。
イタリアの悲惨な状態が連日報道されていますが、中東のイランも連日多数の死者が出ています。
イランはイスラム教の国。毎週金曜日には集団礼拝で多くの信者がモスクに集まりますが、感染拡大防止のため、集団礼拝が禁止されました。

 またマレーシアから周辺の国に感染者が増えているのは2月から3月にかけて同国で行われたイスラム教の大規模集会が原因であることがわかりました。

 さらにインドネシアでは当初、患者発生のニュースがなく、「アッラーのおかげ」という声が出ていたのですが、いまや感染が拡大しています。
患者の拡大を、アッラーは防いでくれないのでしょうか。

 ここで私が思い出すのは、かつてヨーロッパを襲ったペストによって、キリスト教社会が大きく変化した歴史です。
ヨーロッパでは少なくとも3回の爆発的な感染拡大が起きています。
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世紀には東ローマ帝国で感染拡大が起き、帝国が衰退する原因となりました。

 14世紀と17世紀にもヨーロッパで感染が拡大し、多くの犠牲者が出ました。
これからのペスト菌は、シルクロードを通って中国から運ばれていたことが、最近の研究で判明しています。

 シルクロードといえば、習近平国家主席が推進している「一帯一路」政策は現代版シルクロードと呼ばれています。
一帯一路は、陸路はイランを通り、海路の終点はイタリア。
イランにもイタリアにも大勢の中国人が訪れていました。
現代版シルクロードもまた、現代版「病原体の行路」になっていたのです。

 それはともかく14世紀の感染拡大では「死の舞踏」と呼ばれる壁画が各地に描かれるようになりました。
高校世界史の副読本にも掲載されている絵です。

 死を象徴する骸骨が人間たちの手を取ったり、人間たちに襲いかかったりしています。
この絵の特徴は、その人間たちがローマ教皇だったり、司祭だったり、皇帝だったり、商人や農民など、あらゆる身分にまたがっていることです。
死はすべての人間に平等にやってくる、というわけです。
「メメント・モリ」(死を想え)というラテン語が、この当時よく言われるようになりました。

 当時ヨーロッパの全人口の3分の1から4分の1が犠牲になったといいます。
多数の農民が死亡し、ヨーロッパは労働力不足に陥ります。
その結果、封建領主は地代を軽減したり、農民に賃金を支払ったりして働いてもらおうとします。

 その結果、領主から独立した自営農民が増え、領主は衰退し、やがて封建社会から資本主義社会へと変わっていきます。
春秋の筆法をもってすれば、「ペストの拡大が資本主義を用意した」というわけです。

 もうひとつ重要な点は、教会の権威の失墜です。
神父がいくら祈ってもペストの感染は止まりませんでした。
ローマ教皇クレメンス6世の場合は、滞在先のフランス・アヴィニヨンでペストが流行して非難する有様でした。

ペストが宗教改革を準備

 さらに16世紀になると、サン・ピエトロ大聖堂の再建費用を調達するために贖宥(免罪符)を売りつけます。
ペストの恐怖におびえていた人たちは、競って購入します。
これに異議を唱えたのが、ドイツのマルティン・ルターであり、スイスで活躍したジャン・カルヴァンでした。
こうしてご存知宗教改革が始まります。
「ペストが宗教改革を準備した」のです。

 また、古い教会の束縛から逃れて生を楽しもうという運動も起きます。
これが「ルネサンス」です。
人間中心の生き方を重視するようになったのです。

 14世紀のペスト拡大では、「ユダヤ人が井戸に毒をいれたのではないか」というデマも飛び、ユダヤ人が虐殺される悲劇も起こりました。
原因がわからないと不安になり、誰かに責任を擦り付けたくなるのです。

 やがてペストはペスト菌によって引き起こされ、ペスト菌はネズミに取りついた蚤が人間に感染させたことがわかり、衛生対策を取った結果、人間はペストに勝利します。
祈りではなく、科学的な研究成果が勝利したのです。

 その観点から見ると、今回の新型コロナウイルスは、宗教行事が感染を広げています。
たとえば韓国・大邱市で行われた新興宗教「新天地イエス教会」の集団礼拝が爆発的感染をもたらしました。

 そしてマレーシア。
イスラム教徒の大規模礼拝集会には国内外から16000人もの人たちが参加しました。
大きなテントに身を寄せ合って寝泊まりしながら礼拝をしたそうです。
これぞ感染爆発の要件を満たしています。

 ブルネイで最初の感染者が見つかり、この感染者がマレーシアでの集会に参加していたことから、マレーシア政府に通報があり、感染拡大が明らかになりました。

 神への祈りが感染を拡大する。
実に皮肉なことです。
信者たちは、これを「神に与えられた試練」とでも受け止めるのでしょうか。

 新型コロナウイルスによる感染者は、イスラム教シーア派のイランばかりではなく、スンニ派の国々も拡大しています。
これを機に、イスラム教でも現代版の”宗教改革”のようなことは起きるのでしょうか。

 323日付の「イランラジオ」のウェブサイトによると、イランの最高指導者ハメネイ師は国民にこうよびかけたそうです。

「忍耐力や辛抱強さが、知性や考案、相談という行動と一緒になれば、勝利は確実となる」「崇高なる神が、一刻も早くこの災厄をイラン国民やイスラム教徒の諸国民、さらには全人類から払拭するよう希望する」

 まずは知性。それから神への祈りの順番なのでしょう。





 
上彰さんの「そこからですか⁉」
に多少画像編集をくわえさせて頂きました。
ホテルマンのスエスタ 2020.04.16