ホテルマンのシエスタより



       


私は絵が大好きで、ヨーロッパを放浪していた時は、その国の美術館に行くのが楽しみの一つでした。父は、日本画を書いていたのですが、私はなぜか西洋の絵画に惹かれてしまいました。若かりし頃、何点か書いて多少売れたのですが、如何せん、才能の無さを自覚し鑑賞する側に回る事にしました。とてもいい正しい選択でした。絵画はスバラシイですよ。皆さんもこれを機会に少しでも絵に関心を持って頂ければ嬉しく思います。

因みに、絵はジャンルを問わず好きですが、現代アートの、KAGAYA さんの画風もけっこう好きですね。
(星座・宇宙・幻想世界を描いたデジタルペインティングの世界です)

どんな巨匠でも、最初は過去の作品の模写から始めます。そして、それを理論的に消化し、画題や構図、モチーフ、色彩と行った過去のあらゆる所を模写し、それを引用したり、アレンジしたりしてその時代に必要としている事を加味しながら新たな作品を創作していきます。



ここでは、その時代の巨匠達の絵の一部ですが取り上げてみます。
一応簡単に解説もいれておきました。


■ジョット

金門の出会い

1303年~06年ごろ
ジョットはルネサンスの先駆者。
それまでの教会宗教画は神秘的な型にはまった絵が多かったが。

しかし、彼は、民衆にもわかりやすい、人間的な表情、感情を表現する。


■レオナルド・ダ・ヴィンチ

ラ・ジョコンダ
(モナ・リザ)

1503年ごろ
大天才の代名詞のようなダヴィンチは美少年でもあった。
距離によって色調が変わる事に気づき、空気遠近法を生み出す。
また、輪郭線をぼかして微妙に色の変化をつけていくスフマート技法も考え出す。
絵画の世界に筋肉などの動きや表現を取り入れる為、当時、違法だった解剖もやり、ミケランジェロなどに影響を与えた。
ダヴィンチは、このラ・ジョコンダを生涯手放さなかった。

※空気遠近法=遠くのある物は薄く青く描く技法。


■ミケランジェロ

アダムの創造

1510年
システィーナ礼拝堂の天井画と祭壇壁画はルネサンス美術の金字塔と言われている。
この天井画を依頼された時、自分は彫刻家なのでと断ったが半ば強制的に創作させられる。
ミケランジェロはこの壮大な絵画を一人で描いたという。
彫刻するように人体を描くのが特徴。

※以前バチカンに行っ時、なんとローマ法王を見る事が出来ました。(^_^)v

■ラファエロ

びわの聖母


1507年
37才という若さで短い生涯を閉じたラファエロは、ダヴィンチ、ミケランジェロと並んで、ルネサンス3大スターの一人であった。
繊細で美しい聖母像を数多く描き、彼は、19世紀までの長い間、西洋絵画の美の基準であった。
慈愛溢れるマドンナは人々に感動を与える。
このジャンルはラファエロの独壇場。


■ティツィアーノ

田園の合奏


1511年
この時代の絵の描き方は、あらかじめ決めた構図の輪郭どおりに描き、筆の跡がわからないようにしたが、彼は、最初からカンバスに絵の具で下塗りをして、自由に書き換えたので絵の具も次第に厚くなった。

その結果、迫力ある形とバランス、そして内面からあふれ出る色の表現が出来た。

■ルーベンス

三美神


1630年
画家で外交官。ハンサムで教養があって数カ国語を話す。
自分の大工房は大繁盛。ルーベンスは太った女性が大好きであった。
血の通った生身の体の美しさが好きだった。
このダイナミックに描く迫力でバロック最大の巨匠として知られる。

妻と死別後だったが、52才の時、まだまだ人生を楽しみたいと16才の娘と再婚する。


■レンブラント

自画像


1669年
レンブラントほど自画像にこだわり描きつづけた画家はいない。
レンブラントは外見ではなく人間の深い内面、人間の心を描こうとした。
それには、さまざまな感情が表れる顔は最も身近なモチーフだったようだ。

彼の絵はあらゆる人々に一人の孤独な人間として共感を与える。

■アングル

トルコ風呂

1859年
ラファエロを尊敬していたアングル。
彼が描き出すデフォルメされた体。
陶器のような質感。特異な空間構成など当時は革新的だった。

いろいろ批判されてもアングルは自分の美意識に忠実であった。


■ドラクロワ

民衆を導く自由の女神

1830年
補色の効果を使った強い色彩、そして筆致を生かす方法を用い、ダイナミックな構成で強烈に感情を描いた。

日本でもドラクロア展は何度かありましたが、特に「ドン・ジュアンの難破」は圧巻です。


■ミレー

落ち葉拾い

1857年
ミレーは自分のルーツであった農民の真の姿を描きたく、パリの生活を止め、パルピゾン村に移る。
そこで、貧しくても労働する人間を描いた。
崇高、敬虔、そんな言葉がにあう心うつ農民の姿を描く。

そしてその彼を支えた妻の存在も大きいといわれる。


■モネ

睡蓮

1905年
印象派とは実写の物の形よりも光の変化や空気の震えなど一瞬の印象を再現しようとした。その印象派の代名詞のようなモネは理想を追い求めた画家であった。
色彩の詩人。
モネにとって自然は絶え間なく変わりつづける生きている存在だった。

この睡蓮は、自宅の庭に、日本庭園を造り、日本から睡蓮を取り寄せて描いたといわれている。(日本が大好きだったモネでもあった)


■ルノワール

大水浴図

1887年
柔らかい色彩の裸婦や少女たちで人気のルノアールは、生命や愛情そして美しいものに絶対の信頼をおいていた。

ルノアール先生曰わく 「芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ。
世の中は不愉快な事だらけじゃないか」。      ・・・もっともです。

■スーラ

グランド・ジャット島の日曜日の午後
1884年
スーラは物静かな勉強家であった。
当時最先端であった色彩理論や科学研究に影響を受けて鮮明は色彩を追求し、点描主義と呼ばれる技法を追求する。

彼の私生活は友人にも秘密にし、31才の若さで死ぬ。
死後、愛人や子供がいた事がわかった。

■ゴッホ

種まく人

1888年
世界で一番有名な画家かもしれないゴッホ。
人生をドラマチックに生きた天才画家。

左の絵は感情のまま黄色い絵の具をいっぱい重ねて描いているようですが、以外と計画的で絵の具は薄塗りなのです。


■セザンヌ

林檎とオレンジ

1895年
絵画は物語や象徴などを伝える手段だったが、セザンヌは構図やタッチや色彩という要素が絵画には価値があるとした。

モチーフも、林檎や山や奥さんを題材に選んだ。
■ムンク

叫び

1893年
ムンクは自然を描くのではなく、人間の奥に潜んでいる不安や感情に興味を持ち、それを描いた。
彼は恵まれない不幸な環境で育ち、死の影と同居する人々は彼自身の姿だった。
この絵は耳に手をあてて周りの音を聞かないようにしている。それは彼自身の叫びでもあった。
ドイツに表現主義の種を植えた画家。

この絵を見ると、五木寛之の「白夜物語」を思い出します。
■ピカソ

アヴィニオンの娘たち

1907年
ピカソは20世紀を代表する画家である。
ピカソは生涯何度も絵画スタイルをつくっては壊した。青の時代、バラ色の時代と移っていき、現代美術の出発点と見なされる、このアヴィニオンの娘たちを発表した時はピカソは狂ってしまったと思われた。
この絵は尊敬していたセザンヌの複数の視点による形のとらえ方と面分割をさらに押し進めたもの。

※むかしリッカー美術館からピカソの絵を3点お預かりした事があり、良い機会と思って模写してみたが難しかった。単純な線なのに・・・

■シャガール

私と村

1911年
パリの異邦人。幻想と愛を描き続けたロシア出身の画家シャガール。
自分を牝牛だと言ったシャガール。

左の絵は、彼が住んでいた、ラ・リュシュの隣りは食肉処理場でした。
悲しい牝牛の運命と自分を重ねていたんですね。


■モディリアーニ

ヴァン・ムイデン夫人の肖像

1917年
優雅な曲線で描かれた肖像画。
冷え切った屋根裏部屋で崇高な理想と栄光をもたらす傑作を夢見た破滅型の天才画家モディリアーニ。

酒と麻薬におぼれ35才でこの世をさったこの女好きの美男子は数々の伝説を生む。

■ダリ

記憶の固執

1931年
奇妙な夢をリアルに記録した画家ダリ。
私はもはや肉体を作り出すことは満足しないでチーズを作るのである。
柔らかな時計は、やさしく孤独な時間と空間の偏執的狂的批判的カマンベールチーズにほかならないと納得して貰いたい。 ・・・???

彼のインスピレーションの源でもあったガラの存在も非常に大きい。
ダリの絵を鑑賞する場合、背景などにも意味が隠されているので前もって調べておくといいですよ。

※上野の森で開催のサルバドール・ダリ展 ”おれはダリダ” 行って来ました。・・・疲れた・・・


     









Europe with back packing

若かりし頃(20代中半)、お金を貯めて、中近東・エジプト・ヨーロッパ全土・北欧・カナダ・アメリカ・ハワイ・その他をジェットで回る、世界一周の旅(Travel around the world)に一ヵ月以上、ホテルを休職して自費で参加。
世界の一流ホテルに泊まりワインと食事付。そして、その国の観光地や有名なショーはもちろんのこと、美術館や博物館見学も組み込まれていました。
でも・・・ただガイドについて歩いただけなので、あまり感動や記憶は残っていない。

しかし、今振り返ってみると、鮮明に記憶に残っているのは、その後、アルバイトをしながら、ヨーロッパを約1年かけてBackpackingで放浪して、その国の人々に触れたことや、大好きな美術館や博物館に行った時ですね。
あてもない自由な旅なので、美術館に入っても、時間に制限はなく、気に入った絵があれば何度でも通うことが出来ました。

放浪の旅のスタートは、ロンドンからドーバー海峡をフェリーでフランスのカレーに渡る。バスでパリまで行き、そこを起点に、ヨーロッパはほぼ全部、北はノルウェーから、東はイタリア、ギリシャ、エーゲ海の島に船で渡り、戻って南フランスのコートダジュール経由で、スペイン、そして、アフリカのエジプト、最後にアメリカに渡ってから帰国 。
移動は、鉄道、バス、船、ヒッチハイク。

宿泊は、ユースホステル、IN(安宿)、野宿(寝袋)、安宿の屋上(各国の学生パッカーたちが寝袋で寝る)、駅(寝袋)、旅先で知り合った人の家、その他。 いろいろな事を沢山体験できました。 青春の思い出です。

※当初は、ウラジオストックからシベリア鉄道でモスクワ、北欧、ヨーロッパと思っていたのですが、結局、、PIAの格安チケットで時間はかかったが南回りでイギリス入りをした。
2007.5.5 ホテルマンのシエスタ




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